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前回は、あるぜんちな丸でしたが、今回は今年一番の話題船、笠戸丸(かさどまる)とブラジル日本移住100周年と題して報告させて頂きます。
2008年は笠戸丸が神戸の港を出航して丁度100年にあたり、日伯交流年として年間を通じて日本とブラジルで各種行事が行われます。東京では4月24日(木)に政府主催の式典が、天皇皇后両陛下が出席なさりホテルオークラで開かれました。日本からブラジルへの最初の集団移住者を乗せた「笠戸丸」が兵庫県神戸港を出港して100年になる4月28日(月)、同市内で「日本伯交流年」日本側名誉総裁の皇太子殿下が出席なさり記念式典と祝賀会が開かれました。
一方、ブラジルでは笠戸丸がサントス港に到着した6月18日にブラジリアで移民100周年記念式典が名誉総裁の皇太子殿下をお迎えして開催され、21日のサンパウロにおける記念式典を始めパラナ州、リオ州、ミナス州等でも盛大に開催される予定となっています。
1978年の「移民の日」に今上天皇皇后両陛下(当時、皇太子殿下ご夫妻)をお迎えして日本移民70周年記念式典をパカエンブ競技場でガイゼル大統領が主催して8万人の参加者を数えました。1988年には礼宮様をお迎えしサルネイ大統領のもとに日本移民80周年が開催されました。今回は、サンボドロモと呼ばれるカーニバルのサンバ大会の特設会場で皇太子殿下をお迎えして盛大に行われます。サンパウロだけでなしにパラナ州、リオ州、ミナス州でも趣向をこらした行事が予定されています。
1998年の日本移民90周年記念事業の一つとして笠戸丸が到着したサントスの海浜ゴンザカに日本移民上陸記念碑が建立されており、これに呼応して神戸に2001年4月28日に移住者「希望の船出」の碑が建立されている。神戸の船出の記念碑は、出発を象徴し海に向かって建てられており、サントスの記念碑は、ブラジル奥地を目指した移住者が海を背に立っています。何れも移住者親子に子供が一人の家族像です。
今年(2008年)は、日本と日本人の存在感をブラジル社会に大きくアピールする年として位置付けられており、100周年記念行事にあわせ、ブラジル全国に日本庭園、桜の植樹、鳥居、記念碑、記念塔、果てはお城の建設まで計画されています。また、日本文化の紹介として毎日書道展、生花、茶の湯、日本舞踊、早慶戦、サッカーの交流試合、各種展覧会、五木ひろしをはじめとする歌手の来伯も予定されており、ブラジル社会に住みついている我々戦後移住者も胸を張って参加出来る喜びをかみしめております。
4月28日の神戸における行事の一つとして、旧神戸移住センターの永久保存策として9億6千万円の改修事業費を掛けて我々移住者が日本を離れる前に数日過ごした日々を追体験できる「移住ミュージアム」に生まれ変わらせる改修工事着工を宣言する式典も行われました。
ブラジルから寄贈した大きな花崗岩の「ブラジル移民発祥の地」が5月には黄色い花を付けるブラジル国花イッペーとともに永久保存される事は、これまでにこの移住センターから旅立っていった移住者25万人の永遠の故郷として残されて行く事は嬉しい限りです。
最初の日本人移民158家族781名を乗せて100年前にサントスに到着した、あまりにも有名になった笠戸丸の写真を紹介しておきたいと思います。サントスの港の第14号倉庫の近くにある珈琲博物館に飾られていた笠戸丸とメリケン波止場の「希望の船出」記念碑の傍にあった笠戸丸の勇姿です。
笠戸丸に付いてはHP『私たちの40年!!』にも幾つか掲載していますが、笠戸丸は《ロシア船として日本軍に、そして日本船としてソ連軍に沈められた“イギリス船”》という実に数奇な運命を辿りました(*)。最後は蟹工船として小樽を拠点に働きましたが、演歌「石狩挽歌」(作詞:なかにし礼/作曲:浜圭介/歌:北原ミレイ/1975年)にもその名を残しています。♪沖を通るは笠戸丸 わたしゃ涙で にしん曇りの空を見る♪
(*):イギリスの貨客船であったが、ロシアに売却。日露戦争の時、ロシアの病院船として旅順港で被弾沈座し、日本海軍が捕獲。前述のように移民船として活躍後、売却される。1945年、漁業工船として操業中にソ連軍によって沈められた(らしい)。
画像上右:日本ブラジル交流年のポスター
画像上左:笠戸丸が到着したサントスの海浜ゴンザカに日本移民上陸記念碑が建立されている
画像中右:日本移民上陸記念碑に呼応して、神戸に2001年4月28日に移住者「希望の船出」の碑が建立されている
画像中左:大きな花崗岩の「ブラジル移民発祥の地」の碑(旧神戸移住センター)
画像下右:最初の日本移民158家族781名を乗せて100年前にサントスに到着した、あまりにも有名になった笠戸丸の写真
画像下左:笠戸丸の勇姿
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