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フィジーは乾季に向け、日本でいう秋といっていい季節で、毎日のように来ていたシャワー(スコール)も殆どなく、雲ひとつない晴天続き、湿度も夜の気温も少しずつ下がっています【画像左/中/右】。
今回は、ゴールデンウイークを前に、少しフィジーの歴史の勉強とフィジー人達についてお話したいと思います。
フィジー、正式名称はRepublic of the Fiji Islandsといいます(F:Matanitu Tu-Vaka-i-koya ko Viti/マタニツツ・ヴァカ・イ・コヤ・コ・ヴィチ)。日本語表記はフィジー諸島共和国で、漢字で書くと「斐濟」となります。
※以下、(F:○○○)内はフィジー語
  
フィジー(F:ヴィチ)に人間(F:タマタ)が住み始めたのは紀元前1300年頃、タキヤといわれる船【画像左はレプリカ】で東南アジアからニューギニアを経て渡って来たといわれています。
途中、オーストロイド(ニューギニア先住民族)との混血をくり返した人々が現在のフィジー人(以下、フィジアン)の祖先達で、当時フィジーに住んでいたといわれているのが、ニューカレドニアに住んでいるメラネシア人と同じだったようです。その後、メラネシアとポリネシアとの混血をくり返し形成されたのが現在のフィジアン(F:カイ・ヴィチ)といわれています。
ヨーロッパ人(F:カイ・パラギ)が初めてフィジーを知ったのは、1643年、オランダの探検家Abel Tasman(アベル・タスマン)とされていて、Abel Tasmanは南太平洋の多くの島々に立ち寄った中の一つにフィジー諸島ではないか?というものが含まれていました。Abel Tasmanの冒険には、その他、オーストラリアやニュージーランドも含まれていて、オーストラリア、ニュージーランドはTasmanが名付け親で、Tasmanの名そのものが使われているのがタスマニアです。
記録上では、その後のCaptain James Cook(キャプテン・ジェームス・クック)が二度寄港していて、1774年の二度目のフィジー諸島寄港は東南部の島に上陸したとされていますが、それでもフィジー諸島全土を知ったわけではなかったようです。
フィジーが知られたのは、Captain William Bligh(キャプテン・ウイリアム・ブライ)が、初めてフィジーの地図をヨーロッパに伝えたことからフィジーの存在が明らかになったのだそうです。バウンティ号(船)のCaptain William Blighは横暴だったために乗組員が反乱を起こし、トンガ沖で海に投げこまれ48日間の漂流を強いられたことがきっかけで、Captain William Blighはフィジー諸島の39の島を渡ったのだそうです。
Captain William Blighの上陸以降、数人の冒険家によって、現在のフィジー諸島共和国に属する全島が確認されたのだそうです【画像中の地図は現在のもの】。ヨーロピアンにとって当時のフィジアン達は、部族戦争をくり返す「凶暴人種」、「食人種」とされていたのだそうです。
その半世紀後の19世紀初め頃からヨーロピアンの入植が始まりました。1844年、キリスト教の初の宣教師が来島し、布教が始まりました。それと同時に商人の来島も始まったことから銃が持ち込まれるようになり、フィジーでは銃による部族戦争が深刻化したのです。
そこでバウ族のCakobau(ザコンバウ)が先ず分裂していたバウ族を統一し、その後、フィジー全土の統一に成功しました【画像右がザコンバウなのかは定かではない】。
  
フィジー全土を統一したCakobau(ザコンバウ)はトンガ王の影響を受けてキリスト教に改宗したのが、今日フィジーでのキリスト教の布教までに至った理由のようです。現在でもフィジアンの大半はキリスト教徒が多く、熱心に教会へ足を運ぶフィアン家族が日曜日に見られます。
1871年にCakobauは英国にフィジーの王として認められる(王国だったんですよ)。1874年には英国保護領となると同時にオバラウ島のレブカ【画像左】を初めて首都と定めました。ちなみに、レブカには、年配の日本人の方が御夫婦で経営されてるホテルがあるんですよ。
1879年、同じ英国の植民地であるインディアからサトウキビ畑の労働力として、インド人の来島が始まる。1882年、首都レブカが現在の首都スバへと移される。小さな島ですし、不便もあったようです【画像中】。
1970年10月10日、念願だった独立を宣言、英連邦30ヶ国目の加盟国と承認され、南太平洋の中心とされ発展を遂げることになるのです・・・。
  
とまぁ歴史はココまでにして、ヨーロピアンから「凶悪」で「人喰い人種」といわれていた、今日のフィジアン達の習慣などを紹介していきたいと思います。 まずは、その身体的特徴から。
フィジーに来られた方はお解りだと思いますが、フィジーの人口の約半数を占めるのがインド人(F:カイ・インディア、カインディア)。理由は前述の通り、同じ英国の植民地であることからサトウキビ畑の労働力として来島してきたのです。
ここで簡単なフィジアンとインド系フィジアン(以下、インディアン)の見分け方から報告していきましょう。
いちばん判断しやすいのは、髪の毛です【画像左/中】。ロトゥマ島出身のロトゥマ人(F:ロトゥマニ)はフィジー系ですが、ポリネシアンで直毛なので除くとして、他のフィジアン達の髪の毛はチリチリの髪質で、短いと日本の怖い人達のようなパンチパーマで、伸びてくると大きく膨らむアフロへヤーで、身長が高く、肉付きもいい(F:ウロ)のがフィジアン達。最近では、ドレットヘヤーも見られます。
それに比べてインディアンは小柄で痩せ型(子供の頃は特に)が多く直毛なのです。最近は生活が裕福になり油(脂肪)の摂り過ぎでメタボ・・・といわれるような人が沢山いるのですが【画像右上/右中】。
今回はここまで。さよなら(F:モゼ)!【画像右下】
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