ラオス

■血たぎる闘牛 モン族の正月 2008.3.4 update

《モン族の正月》
稲の刈入れが終わった月の次の新月の日、モン族の正月が始まる。首都ビエンチャンでは例年11月末から12月中旬にくる新月に、ラオス北部では12月末から1月中旬の新月に、中国のモン族は1月下旬から2月中旬の新月に正月が始まる。全国的に決まった期日というのはない。

期間はおよそ1週間から1ヶ月程度。この正月の期間に、闘牛の日が一日、芸能発表会の日が一日ある。ラオスで闘牛をするのはモン族だけである。

ビエンチャンでは、昨年(2007年)12月10日の新月の日から各所でモン正月が始まった。集落の長が正月の始まる日を決めるので、集落ごとに開始と終わりの日が異なり、正月の会場がそれぞれ設けられる。複数の村が合同で正月を祝うが、年ごとに正月行事を担当する村が変わる。

画像左:K52地域の闘牛の様子。
画像右:ターディンデーン地域の長老。
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《血たぎる闘牛》
昨年(2007年)、闘牛が確認できたのは12月12日ターディンデーン地域、12月15日K52地域、12月16日ブンカム地域の3ヶ所。これ以外にも集落があり、正月行事が行なわれた。闘牛に出場する牛は当日の朝エントリーする。試合は7時ごろ始まり、11時ごろ終了する。

ターディンデーン地域では60頭ほどが集まり、4時間近く約30試合が行なわれた。半野生の去勢していないオスで、闘牛専用の牛を使う。闘牛にメスは使わない。普通の牛より角(つの)が長めだが、水牛より短い。水牛の角は二本が内側に大きく弧を描くが、この牛はほぼまっすぐに斜め前方に向かって伸びる。また首の皮が大きくたるんでおり、首の上には必ずコブが1つある。

組み合わせは審判員が決める。対戦する牛の年齢が同じになるようにし、また同じ村の牛とは対戦しないように組んでいる。2頭ずつの一騎打ちで、一本勝負。総当り戦やトーナメント戦ではないため、勝ち進んだり、一日に二度試合をしたりことはなく、優勝とか2位、3位とかいう順位はない。また賞金とか記念品といったものもなく、飼い主が手に入れるのは「名誉」だけである。試合の勝敗をみながら賭博をする人はいなかった。

人垣で作られた闘牛場の両サイドから飼い主が鼻輪を引いて登場する。濡れた布巾で牛の角を清める。ジョッキ1杯のビールが振舞われ、飼い主が飲む。金属でできた鼻輪の代わりに鼻にひもを通して牛を引き、徐々に牛の顔を先方の牛の顔に近づける。するとある瞬間に突然に頭突き合いになる。飼い主は鼻のひもを抜く。どちらか一方が逃げ出すか、ひどく傷つくか、あるいは死んだら負け。

いつまでたっても勝敗がつかずに双方がひどく傷つけば審判が止めて引き分けにする。どうしても頭突き合いが始まらない場合も引き分けとなる。なかには一度も頭突きをせずに、にらみ合っただけで突然に逃げ出す臆病な牛もいた。

牛がものすごい速さで走って逃げるため、これを追いかけて止めるのが5、6人いる審判の重要な役割だ。逃げる牛に突き飛ばされて、ときどき死者が出る。針金を輪にして棒の先に取付け、審判が牛の鼻と口にこの輪をすっぽり通してから牛の鼻を引く。あるいは竹竿の先に垂らしたひもを何人もで角に引っ掛けて力ずくで止める。が、なかなか止められない。だから観客も一緒に逃げる。老人や子ども、女性が少し高台で見ているのは、優先的に安全な場所があてがわれているためである。

去勢をしないことと、メス牛に会わせないことで気性を激しく荒くさせる。薬は使っていないという。闘牛は年に一度の正月行事だと思っていたがそうではなく、村単位で闘牛がある。村の長老が亡くなったときに闘牛がある。近くの村同士での交流戦があるほか、飼い主同士の合意があれば適宜、闘牛が行なわれる。しかし、規模としては正月の闘牛が最大である。

子牛の頃から頭突きの練習をさせる。草以外にトウモロコシや米などの穀物を与える。農耕には使わずに運動をさせている。怪我をすればすぐに治療する。牛舎に飼われる牛と、屋外で飼われる牛とがある。売りに出される場合、勝った牛は負けた牛より高い値がつけられる。

引退した牛は、種牛になるか売られるか、あるいは角と肉と骨に解体されて家庭で食される。ヒンズー教では牛を神聖視して食べないが、ラオスではラオ族もモン族も僧侶も普通に牛肉を食す(特定の日に精進料理を食べる習慣はある)。

近年、子牛(4歳)1頭が500〜700米ドル(約53,000〜75,000円)で購入でき、引退時には2,500米ドル(約268,000円)から高値では4,000米ドル(約428,000円)の値がつくという。かつては覇者としての名声を手に入れることが唯一最大の目的だったが、近年ではビジネスとして闘牛に参加する飼い主もいるそうだ。

画像上左:ターディンデーン地域の闘牛場の全景。
画像上右:ターディンデーン地域では場所を変えて午後に再試合があった。
画像中:人垣に近寄る牛。
画像下右:次の対戦を読み上げる審判員。
画像下左:モン語で書かれた対戦表。
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《正月の遊びと芸能》
正月に見られる芸能には、コマ回し、まり投げ、羽根つき、モン族のケーン(笙に似た楽器)や草笛、竹笛、ソウ(胡弓)の演奏、男女で掛け合いの民謡や独唱、伝統舞踊にダンス、バンドの演奏などがある。

コマは柔道の背負い投げのようにして回す。「親」にあたる2人が回したコマに「子」がコマをぶつけてはじきとばせば得点になる。コマを投げるラインから5メートルほど先で「親」がこまを回す場合と、10メートル以上離れたところで回す場合とがある。「親」は順々に代わる。5、6人の「子」が次々とこれをめがけて投げる。

まり投げは、2メートルほどの間隔で男女が向き合って投げる。歌を唄いながら話をしながら、ときには愛を語りながら。2人で1つのまりを交互に投げるだけでなく、複数人で1つのまりを交互に投げたり、また複数のまりを使うこともある。しかし、必ず一方の列に男性が、もう一方の列に独身の女性が並ぶ。

まりを落したら負け。負けた方がアメ玉を取られるなどグループごとの約束がある。手作りの伝統的まりは野球ボールほどの大きさだ。近年、伝統的まりが減少して、その代わりにテニスボールが使われている。

正月中に最低でも3日間まり投げをすることになっている。7日間続けるという集落や15日間という集落があり、なかには20日以上する集落もある。コマ回しやまり投げが朝から延々と続く。夕方から夜にかけては芸能発表会が行なわれた。

画像上:コマ回し。前方の親のコマを狙う。
画像中:コマの回し方。
画像下:まり投げ。一方の列に男性が、もう一方の列に独身の女性が並ぶ。
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□参考:モン(Hmong)族とは
ラオスの全人口に占めるモン族の割合は約6%(31万6千人)で、最大の少数民族である(1995年)。

男系社会で一夫多妻制。フモン族、ミャオ族、メオ(苗)族という呼称もあるが、これはいずれもモン(Hmong)族のこと。ミエン族(別称=イウ・ミエン族、=ヤオ族、=マン族)と合わせてモン・ミエン語族(シナ・チベット語族の一系統)を形成する。オーストロアジア語族(モン・クメール系)のモン(Mon)族と区別される。

モン(Hmong)族は北部・中部ラオスの山頂に多く居住し、モン(Mon)族は南ラオスの山腹に居住する。表題のモン族はアルファベットに似た独自の文字を使用する。2通りの表記法があるとされ、ラオス政府が公認するものと公認しないものとがある。

またモン族は白モン(モンカオ)、黒モン(モンダム)、緑モン(または青モン、モンキヤオ、モンラーイ)の3種族あるとされ、一村に一氏族が暮らす。全国で23氏族。同じ氏族同士では結婚できない。

村(氏族)がいくつか合わさり一つの集落を形成する。高地で主に焼畑農耕をし、ケシを栽培して阿片を売る。住居は、ラオ族や山腹の少数民族に特有の高床式ではなく、地面に直接家を建てる。主に精霊信仰。中国(約793万人)、ベトナム(79万人)、カンボジア(18万5千人)、タイ、ミャンマーに分布する。

かつてラオスでモン族はフランス植民地政府に対し大規模な反乱を起こし、ベントナム戦争期にはアメリカ軍側について共産主義勢力と戦った。戦後はアメリカ(約24万人)やフランス(約1万5千人)、オーストラリア、カナダ、タイ、フィリピン、仏領ギアナ等に約30万人が難民として移住した。

アメリカに亡命したバン・パオ元将軍らのクーデタ計画が昨年6月に露見して、アメリカ政府に起訴されたニュースは耳に新しい。日本政府が居住を認可したインドシナ難民1万人の枠にモン族は入っていない。

画像上左、上右、下左:夕方から夜にかけては次々と芸能が繰り広げられる。
画像下右:モン族の民族衣装。
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【謝辞】モン族の研究家ソムトンさん(国立社会科学研究所)と城戸賀代さん(芸術教員養成学校)から、貴重な情報を提供いただきました。ありがとうございました。


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