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仏暦2550年12月白分(*)15日(2007年11月24日、満月)、ブンナマットサカーン・パタートルアン(聖地巡礼祭)が行なわれた。通称タートルアン祭り。
このタートルアン祭りは、西暦1566年、セタティラート王がビエンチャンに王都を移したときから毎年行なわれるようになったと伝えられる。ラオスの仏教者にとって欠かすことのできない、もっとも重要な宗教行事の一つで、また国内最大の祭典となっている。
毎年、旧暦12月の満月の日にラオス仏教の最高の仏塔、タートルアンの広場で行なわれるのだが、この日をはさんで前後1週間にいろいろな式典や催し物が開かれる。今年(2007年)は催し物の一部をT4通りにあるイベント会場ラオ・アイテック(通称アイテック)に移した。それ以外はほぼ例年通りだった。この祭りを機に警察官のユニフォームが一新されたが、この祭りとは直接関係ない。
紀元前3世紀ごろ、インド留学を終えた5人の修行僧が当地に戻り、蓮の花をモチーフにした仏塔を建立した。彼らが持ち帰った仏陀の遺骨の一部がこの仏塔に納められたといわれる。その後、何度か改築されたが、1935年にフランスの建築家の支援により本格的に修復され現在に至る。
(*)白分:月が満ちてゆく(新月から満月へ)期間を「白分」、月が欠けていく期間を「黒分」と呼ぶ。「白分」と「黒分」のはじめを一日と数え、日付は各々15日までである。
画像右:祭りの期間、タートルアンはライトアップされる=画像;ラオス農林省の長岡明氏=
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《タートルアン祭りの歩き方》
□11月20日(火)開会式
17時。ラオス政府主催による開会式が入口正面ゲートで行なわれた。開会式には各省庁の大臣や高級官僚、各国大使、企業の代表らが出席した。
ビエンチャン市長の挨拶の後テープカットがあり、赤白青の三色のガス風船が放たれた。参列者は本堂まで歩いて参拝してから会場内の各ブースを見学した。
展示ブース(218団体)には各国大使館やNAHICO(国家鳥インフルエンザ対策室)、麻薬中毒患者更生施設などが出展した。販売ブース(252店舗)では手工芸品や織物、木製品、衣料品、生活雑貨、家電製品などが売られた。
一方、アイテック会場には833店舗が出店。実は、昨年(2006年)までは地方や海外の特産品を集めた物産展である全国見本市がタートルアン祭りとは別日程で開催されていたが、今年(2007年)はタートルアン祭りの日程と合わせてアイテックで行なわれたのだ。
以上のような理由で、これら両会場を合わせると過去最大の1,200以上の出店となったわけだ。コンサートのステージやミニ遊園地も見られたが、これは例年通りだった。
画像左:政府主催の開会式。
画像右:地元中学生によるパレード=画像;長岡明氏=
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□11月22日(木)開会の儀式とビエンティアン
8時。ワットシームアン(寺院)にてタートルアン祭りの開会の儀式が行なわれた。ワットシームアンはビエンチャン遷都を記念する礎石が置かれたビエンチャンの要所として知られる。
在家者による果物や菓子類、シン(女性の伝統スカート)花火等の寄進の後、僧侶の読経があった。伝統的には、苗木、パサートプン(供物の一種で山車や御輿に似たもの)、赤と白の礼服、米、塩、ろうそく、線香、砂、バナナの葉、儀礼用の剣や銃などを寄進するとよいとされる。サワンナケート県から来た楽隊による伝統楽器の演奏があった。
16時。タートルアンにて幸運を呼ぶための読経が詠唱される。
20時。ワットシームアンにてビエンティアン。ワットシームアンに数百人の人々が集まり、色とりどりのパサートプンを持って時計回りに寺院を三周する。最後に寺院の中にパサートプンを安置し、礼拝。ろうそくの火に加えて線香の煙や爆竹、花火も合わさって、寺院は一種幻想的な空気に包まれた。タートルアン祭りに限らず、毎月、満月の夜にビエンティアンが行なわれるが、パサートを持ってのビエンティアンは年に一度である。
画像左:家族でパサートプン(供物の一種)を奉納=画像;長岡明氏=
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□11月23日(金)パレード
13時。ワットシームアンからタートルアンまでパサートプンを持って移動する。
14時。地方の村々から集まった人が凱旋門からタートルアンまで歩く。供物を持つ人、民族衣装を身にまとう人、踊り子、音楽隊が一同に行列してタートルアンまで歩く。4〜5人のグループから、なかには数十人のグループもあるが、その構成は家族、親類、友人、学校、県や市区町村、職場、少数民族など様々だ。
タートルアンに着いて三周してからパサートプンを奉納し、僧侶に読経を上げてもらう(見学の際には女性はズボンの着用を避けること)。
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□11月24日(土)満月の日、托鉢とビエンティアン
5時。タートルアンに僧侶や在家者が集まり始める。この日、巡礼した僧侶は1,000人を超えた模様。尼さんはまだ少ないが、それでも30人ほど見られた。僧侶たちはタートルアンとタートルアン周辺の寺院に起居する。
7時。托鉢と読経。チュンマリー大統領やブアソン首相、トンシン国会議長ほか党役員、軍人、警察から農民まで托鉢に訪れた。供物には花、ろうそく、線香、カオニャオ(もち米)、賽銭用の小額紙幣、果物、菓子などを寄進するのが一般的。ほかに持ち物としては、供物を入れる鉢、パビアン(肩から掛ける布)、水と容器(儀礼用)、ろうそく、ライター、ゴザ(敷き物)など。
托鉢の際は履物を脱ぐのが礼儀だが、近年では靴をはいたままの人もいる。9時ごろ終了(見学の際には女性はズボンの着用を避けること)。
14時。伝統スポーツ「ティーキー」が行われた。これはホッケーのラオス版で、竹の根で作られた棒の先で玉を転がして得点を競う。伝統音楽の演奏のなかワットタートルアンタイ(寺院)に納められているティーキー用ボールをタートルアンに奉納する。
この儀式のあと恒例により政府役人チームと地元住民チームによる親善試合が行なわれた。役人チームにはソムワンディ・ビエンチャン市副市長、ウンヴァン住民課課長、シーサワート住民センター長などが参加した。
ティーキーは古来より伝わるスポーツで、役人チームが勝てば国民は困窮し食うものに困る年となり、地元住民チームが勝てば食うものに困らぬ繁栄の年になると云われている。今年(2007年)は地元住民チームが5対2で役人チームを降した。
19時。ビエンティアンの儀式(見学の際には女性はズボンの着用を避けること)。タートルアンを三周する。持ち物は花、ろうそく、線香。今年は花火や爆竹、液状の物の持込みが制限されたが、主催者が用意した花火が続々と上げられた。
21時ごろ終了するが、22時すぎまで人出が絶えない。ビエンティアンは毎月、満月の夜には全国各地の寺院で行なわれており、珍しいものではないが、タートルアンのビエンティアンは年に一度の行事である。
画像右:早朝のタートルアンと托鉢を待つ人たち。
画像左:托鉢=画像;長岡明氏=
画像右:尼さん。
画像左:伝統スポーツ「ティーキー」の結果を報じる地元紙。
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□11月25日(日)ビエンティアン
20時。ワットタイニャイ(寺院)、ワットオントゥ(寺院)、ワットインペン(寺院)にてビエンティアンが行なわれた。例年、タートルアン祭りの翌日に行なわれ、タートルアン祭り関連の行事としては最後の催しになる。
パサートプンや花、ろうそく、線香を持った人たちがワットオントゥに集まり寺の境内を三周すると、その足でワットインペンまでパレードする。ワットインペンに集まった人たちと合流して寺の境内を三周する。
一部の人はそのままワットインペンにパサートプンを奉納する。一部の人はワットオントゥまでパレードし、ワットオントゥでさらに寺の境内を三周してパサートプンを奉納する。タートルアン祭りに限らず、毎月、満月の夜にビエンティアンが行なわれるが、パサートプンを持ってのビエンティアンは年に一度の行事になる。
画像右:ビエンティアンの儀式=画像;長岡明氏=
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□タートルアン祭り番外編
タートルアン会場には1,000人超の警察官が配備された。さらにラオス青年同盟からは500人超の青少年が動員され、会場への出入口13箇所に検問所を設けて手荷物検査を実施した。一方、アイテック会場では約300人の警察官と約100人の青少年が治安に当たった。
タートルアン祭りが行なわれるのと同時期に、ほぼ同じ形式の祭りがラオス北西部ルアンナムター県のムアンシンにあるティエントゥン仏塔でも例年開催されている。
ちなみに次のタートルアン祭り(旧暦12月の満月の日)は、2008年11月12日(水)である。
画像左:次のブンナマットサカーン・パタートルアン(タートルアン祭り)を待つ仏塔、タートルアン
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