■フランツ・フェルディナント一家に遭遇?! 2006.11.7 update

ある晴れた日曜日。私達は、おばあちゃんの庭で遊ぶのもあきたし、せっかくの日曜日、近所の公園に行くのもなあと思い、旦那の実家から車で20分ほどのところにあるBENESOV(ベネショフ)の町へと行きました。

この町には、ガイドブックにも書かれている「コノピシュチェ」というお城があります。プラハからは、列車で1時間、高速バスでは30分くらいでしょうか。以前にも行ったことがあるが、天気もいいし、コノピシュチェには、熊がいるので、息子も楽しいだろうと出かけました。

朝10時過ぎにコノピシュチェの駐車場につくと、観光客がちらほら来ていました。広い駐車場に車を置き、いざコノピシュチェへ!と、思ったのですが、息子がトイレに行きたがったので、近くのトイレへ。

そのトイレは、バイクの博物館の中にありました。息子の用事が長くかかりそうだったので、旦那はバイクの博物館を見学しました。入場料は110コルナ(1コルナ=5円前後)。ちょっと高い気がしました。しかも、博物館といってもそんなに広くない部屋。しかし、その広くない部屋には、たくさんのバイクが展示されていました。「JAWA(ヤワ)」という、バイクに乗っている人なら誰でも知っている有名な会社のバイクです。

私は、バイクに興味はなかったのですが、このバイクを作っている会社がおばあちゃんの村にあるので、「へ〜」という感じで見ていました。昔の型のバイクを持っている人が、バイクのパーツを見に来ていて、店主にいろいろと質問をしていました。男の子やバイク好きには、たまらない博物館なのでしょう。ちなみに息子は、木で作られたバイクに乗って遊んでました。

見学を終えて、やっとコノピシュチェへと向かいました。この駐車場からちょっと坂道を登っていくのですが、私達は、息子がいたので汽車に乗って行きました。一人30コロナ。2歳児の息子も一人分の料金を取られました。数分もすると汽車の終点につき、下ろされ、そこから、また少し坂を上っていくとお城があります。

行く途中に、向こうから着飾った家族が歩いてきました。くりんとしたヒゲをはやした男の人、大きなピンクの帽子を被ってドレスを着た女の人、どこのお坊ちゃま?というような品のある男の子・・。なんだ、この家族は?とりあえず、写真を撮っておこう!「すみませ〜ん、写真撮らせてくださ〜い」。家族写真を撮らせていただきました。

後で知りましたが、彼らは、フランツ・フェルディナント(*)一家。1887年にコノピシュチェを購入した最後の城主。今年は、フランツ・フェルディナントが後継者になって、110周年ということで、新しい展示品や展覧会などがあったそうです。そして、フランツ・フェルディナント一家を演じている家族が、コノピシュチェ城周辺をうろうろとしていたわけです。


でも110周年を記念して・・ということなので、この家族に会えるのは、今年だけではないだろうか。次回は120周年のときにでもまた遭遇することができるだろうか。さあ、君もコノピシュチェに行ってフランツ・フェルディナントと握手!

ちなみにコノピシュチェ城には、フランツ・フェルディナントが趣味で集めた獲物の剥製がずらりと並んでいる部屋や、皇族たちが使っていた家具、刀剣や銃器などが置かれている。ガイドツアーのみ見学が可能。お城の周辺には、美しい森林公園がある。人造湖の近くには、ワイン樽の形をしたかわいいお店があり、そこでソーセージを買ってお昼ご飯にした。なかなか美味しい。お城見学が飽きた小さなお子様も、この公園で走り回ることができるし、ローズガーデンも美しいので、1日、ゆっくりとコノピシュチェに遊びに行ってはいかがでしょう?

註(*):フランツ・フェルディナント:
オーストリア=エステ大公フランツ・フェルディナント・カール・ルートヴィヒ・ヨーゼフ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(1863年12月18日〜1914年6月28日)はオーストリア・ハンガリーの皇帝=国王の継承者、オーストリア=エステ大公。サライェヴォでセルビア人民族主義者に暗殺された。このサライェヴォ事件をきっかけに第一次世界大戦が勃発した。オーストリア皇帝フランツ1世(在位1804年〜1835年)の四男であったカール・ルードヴィッヒとナポリ王室出身のマリア・アヌンチアータの長男として1863年オーストリアのグラーツで生まれた(略)

大公にはボヘミアの伯爵家出身で宮廷女官のゾフィー・ホテクという愛人があり、結婚したいという意向であった。皇室は次期皇位継承者がチェコ人の女官のような身分の低い女性と結婚するのに大反対したが、2人はあくまで意思を変えなかった。このためゾフィー・ホテクが皇族としての特権をすべて放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせないことを条件に結婚が承認された。ふたりの結婚式は1900年7月1日に挙行された。このような複雑な経緯もあって、フランツ・フェルディナントは「皇太子」とはあまり呼ばれず、「皇位継承者」と遠回りな呼ばれ方をされるようになった(略)-フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より-

バイクの博物館のホームページ (チェコ/独/英)
コノピシュチェ城のホームページ(チェコ/独/英)

-文中の画像-
画像右上:コノピシュチェ城正面
画像左上:別の場所から撮影したコノピシュチェ城。
画像右下:フランツ・フェルディナント一家
画像左下:コノピシュチェ城のローズガーデン
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画像左:駐車場からコノピシュチェ城付近まで運んでくれる汽車。
画像中:コノピシュチェ城周辺をうろうろしていたフランツ・フェルディナント一家(を演じている人達)。
画像右:コノピシュチェ城の前にすんでいる熊。この熊が、お城を守っているのです。


【短信】寒くなってきました。朝は、マイナスの日々が続いていますが、日中は天気が良く過ごしやすいです。11月11日は、「Martin(マルティン)の名前の日」。この日に、白馬が雪を運んでくると言われています。そして、この日に雪が積もると、クリスマスまで雪が降り続く・・という迷信があります。さて、今年のクリスマスはホワイトクリスマスになるでしょうか。(10/18)

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