■薪で走る蒸気機関車 2006.6.20 update

南米における鉄道の歴史は古く、蒸気機関車が引っ張る列車が大陸で最初に開通したのが、ここパラグアイで1861年のことでした。1861年と言いますと日本はまだ幕末の尊皇攘夷が叫ばれ、坂本竜馬、高杉晋作など薩長土の志士たちが活躍する時代、とにかく明治元年(1868年)の7年前のことです。この頃パラグアイは南米でも有数の強国で新聞等も発行されており、日本よりも文化が進んでいました。

その後、南米においては自動車の発達と共に鉄道の役割は小さくなり現在では余り利用されていません。広い大地に希薄な人口密度、自動車運輸の方が効率が良いのでしょう。パラグアイの鉄道も次第に廃れて来て、脱線事故を契機に遂には廃線となり、長い間列車は運行されずにいました。

歴史在る鉄道を復活しようとの声が高まり観光用として2004年2月に汽車は運行を再開しました。輸送や旅客用ではなく、あくまで観光客を相手にした運行となり、毎週日曜日に一回だけの運行となりました。途中の景色は変化に富んでおり車窓の景色は楽しいものです。国際空港の横を通り、住宅地や牧場、森林を通過して進んで行きます。汽車が走るのは珍しい事なので多くの人が自動車を止め、通りかかりの人が汽車に向かって手を振る姿が見られます。

また、お客に楽しんでもらう工夫が為され、乗務員は開業当時の19世紀のスタイル、コメディアンや手品師、更には音楽家が乗り込み動いている汽車の中は笑いの劇場となり、子供達は大喜びです。外国人観光客や駐在員の皆さんも利用し、観光用として成果を挙げています。

行き先はアスンシオン郊外のアレグアという町でここは陶器の町として有名です。多くの店が軒を連ねており、観光客相手に壷や置物などを並べています。また、イチゴの産地として有名で春には取れたてのイチゴが売られています。乗客は3時間この町でゆっくりと過ごす訳です。

列車はアスンシオン市内にある動植物公園駅を朝の10時に出発し、約二時間かけてアレグアに行きます。途中にあるルケ駅では休憩があり、軽食と飲み物のサービスがあります。帰りは午後3時にアレグアを出発し、午後5時にアスンシオンに戻って来ます。

パラグアイの汽車は、蒸気機関は蒸気機関でも、石炭ではなく、薪を燃やして走るタイプです。この為に罐焚きが非常に大変です。と言いますのは、蒸気機関は動力機の中でも熱効率が悪く、石炭や薪をたいて得たエネルギーの大半が、空中に発散するなどして、失われ、機関車を実際に動かす力となって残るのはほんの10%程度です。石炭より薪は更に熱効率が悪いのでなかなか温度が上がらないと思います。運行中罐焚き係りは汗だくで仕事をするわけです。

課題・問題点も多く在ります。運営がまだ準国営なので、効率が非常に悪い事です。チケットを販売する方法もよく分からず広報も行き届いていません。チケット売り場も非常に限られており、旅行会社やホテルでは購入する事が出来ません。この為に最近は利用者が伸び悩み毎週運行から隔週運行になっています。赤字が累積するので最近は外国人のみ倍以上の料金を取る事になり、逆に利用客を減らしています。

また途中に多くの踏切がありますが、遮断機はありません。通過する時間に全ての場所に消防車が出て遮断します。この際の消防局員の出動はボランティアと聞いています。また保線も充分では無く速度を落としての運行ですが、このままですと脱線の危険さえあるように見えます。機関車も非常に古いもので故障しても部品があるとは思えません、実際に動くようにするには担当者の努力工夫が欠かせません。

せっかくの大切な観光資源である薪で走る蒸気機関車です、何とか定期運行し、パラグアイの名物として継続的に運行して欲しいものです。そして日本のSLファンにも是非来ていただきたいと思います。

画像右上:首都アスンシオンと陶器の町アレグアとを結ぶ、観光用蒸気機関車。
画像左上:乗務員は開業当時の19世紀のスタイル、コメディアンや手品師、更には音楽家が乗り込み、列車内は笑いの劇場となります。
画像右下:この蒸気機関は、石炭ではなく、薪を燃やして走るタイプです。
画像左下:途中にあるルケ駅では、エンパナーダ(ミートパイ)やホットドッグなどの軽食と飲み物のサービスがあります。


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