■パラグアイ・セントロ日系創設20周年記念式典 2008.1.15 update

パラグアイ・セントロ日系は、今から20年前に日系二世を中心とする若いグループが中心になって結成されました。日本生まれの一世は良くも悪くも色々な点で日本を引きずり生きているのに対して、二世達はパラグアイで生まれ育っているのでスペイン語で生活をし、現地風の考え方を持っており、行動パターンも異なる事から自分達の組織を作ったという訳です。

創立から20年が経過して当時は若手と呼ばれた人達も現在は中高年と呼ばれる相応の年齢となり、現在では日系社会の中核を担っており、この時代の経過に伴いセントロ日系も日系社会で重要な役割を果たすようになって来ています。

創設当初にアスンシオン郊外に土地を購入し、会員が週末にくつろぎ、お互いのコミュニケーションの場所になるよう計画しました。この20年の間でイタグア本部は整備が進み、現在では当初描いていた宿泊設備やスポーツ施設が在る立派なクラブになっています。昨年はここで日系移住40周年式典・祝賀会も開催されました。

画像左:式典会場となるセントロ日系本館
画像中:準備が整った式典会場
画像右:受付開始
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さて、セントロ日系創立20周年式典は2007年9月22日(土)夕刻、イタグアに在るセントロ日系本館で敷地内に建設されたイタグア地域診療所開所式典に引き続き開催されました。会員の他、在パラグアイ日本国大使館、国際協力機構パラグアイ事務所、パラグアイ各地の日系団体の代表者、イタグア市長他地元関係者など多くの招待者が参加しました。

また外国から多くの友人達も参加しました。全米日系人協会会長の他、アルゼンチンからはアルゼンチン・セントロ・日系の代表、ペルーからは色々な側面から後発のセントロ日系を応援している日系クラブ「アエルー」の代表、ウルグアイからはウルグアイ日本人会会長、チリからはチリ日系人連盟の代表の方が参加され、それぞれ記念品の交換を行ないました。

セントロ日系は常にこれら南米各地の日系社会の友人達と連携を取り、全米日系社会全体の連帯を目指し交流を行なっています。

画像左:式典会場の様子
画像中:挨拶を行なうセントロ日系・川田忠会長
画像右:外国の友人達から贈られた記念品の数々
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式典終了後は、場所を移して祝賀夕食会が開催されました。会場中央には果物とお花が一緒に綺麗に飾られて、各テーブルにも20周年を祝う飾り付けをしたお花が飾られました。

厨房・食堂の前の大きなスペースにテーブルを並べ、階段の上の部分を舞台に仕立て、ショーを観ながらの夕食となりました。料理は会員でもあるレストラン「デリシャス・ハポネス」に委託、日本風の料理が振舞われました。豪華な料理でした。

画像左:多くのテーブルが用意された祝賀夕食会会場
画像中:豪華な料理
画像右:祝賀夕食会の様子
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乾杯に続き、食事とショータイムとなりました。ショーの出し物は3つで、最初の出し物は地元イタグアのパラグアイ・ダンス、壷を頭に載せた伝統的なダンスなどを披露しました。

次は日本舞踊、「仲良しクラブ」と称する3人のお嬢さんが着物を着て純日本風の踊りを舞いました。彼女達はセントロ日系青年部の中心メンバーでもあり、今回のイベントでは準備に協力していました。若い世代が育っているのは頼もしい限りです。

最後は瓶ダンスが登場です。頭に瓶を重ねて踊るというもので、積み上げると身長よりも遥かに高いものとなります。バランスを取り歩くだけでも相当大変なのですが、この状況でダンスをするのですから驚異的です。最高15本の記録を持っているそうですが、屋外でこの日はあいにく風が強く、4人の踊り手の中で11本が最高でした。それでも見事な演技に拍手喝采でした。

ショーが終わると20歳の誕生日を祝福する大きなケーキにナイフを入れ、花火が連発で打ち上がり創立20周年を祝いました。その後、青年達は深夜までダンスに興じていました。

セントロ日系は日々成長を遂げています。世代が交代し、日系社会の中心が二世から三世になって行きます。移住の歴史も70年を超えて成熟期を迎えています。出稼ぎによる若い世代の空洞化など多くの問題を抱えてはいますが、これらを乗り越えて更に発展して行く事でしょう。


画像左:イタグア市のパラグアイ・ダンス
画像右上:「仲良しクラブ」による日本舞踊
画像右下:瓶ダンス
画像左下:セントロ日系20歳の誕生日を祝福するケーキカット
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