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パラグアイに日本のお城があります。内装はまだですが、外側の工事は終了し鮮やかな天守閣が姿を現しています。場所はアスンシオン市郊外、30キロほど離れたイタ市、前原さん一家が経営する農場の敷地内にあります。
城主の前原弘道さんは今から50年ほど前に広島県からご両親に連れられて家族7人でパラグアイに移住されました。始めは大変苦労されたそうですが、トマトそして鶏卵を生産する養鶏農家として成功され、現在ではパラグアイ最大の鶏卵農場として確固たる地位を築いています。
弘道さんのお父さん深(ふかし)さんは事業ばかりではなく、日本人会連合会長など歴任されパラグアイ日系人に多大なる貢献をされましたが、息子達に仕事を任せてからは「何か日系社会、そしてパラグアイの為に役に立つ事をしなければ」と考えるようになりました。
敷地内を見渡しますと平坦な土地の中で一箇所だけ高くなっている場所があり、固い岩で出来ているのでまるで城の石垣のように見え、「よし、ここに日本の城を築こう、パラグアイの名所になるし、日本人の心の拠り所にもなるだろう」と決意され、それ以降は毎日この場所で現地の労働者と共に土台造りに汗を流していました。夢の実現に向け、日の出から日暮れまで毎日コツコツと作業をされていました。息子達は「オヤジの道楽」と側面からの協力に留めていました。ところが、1996年のある日、何時ものようにバイクで作業場に向かった深さんは作業中の不慮の事故が元でそのまま他界されました。
長男の弘道さんを始め息子達はそれまでは真剣には考えていませんでしたが、夢途中で突然他界された父親の意思を継ぐ事を決意されました。それまで余り熱心では無かった弘道さんは本気で取り組むこととし、「城を築くのであれば本格的なものを造る」との思いで色々な方の協力を得ながら少しずつ形にして行きました。
日本には復興天守閣というものがあり、消失して図面も残っていない城跡には全く新たに設計した城を築く事があります。勿論過去の城を研究し、江戸時代の城の特徴を最大限に引き出している設計になっています。前原さんはこの図面を元に城の基本設計を行い施工する事になりました。瓦も取り付ける飾りも全て本物志向で進めて行きした。瓦は愛媛県の菊間瓦で専門の職人が工事をするという本格的なものです。飾りは高知城(築城主:山内一豊)の檜なのだそうです。弘道さんが陣頭指揮を執り城が少しずつ形になって来ています。
深さんの事故から10年の歳月が経ちました。弘道さんを始め息子さん達の意思は形となって今、白亜の天守閣がパラグアイの空に聳えています。妥協しない前原さん達は日本に在る城郭と同様の本格的な構造のものを地球の反対側に造り上げてしまいました。高さ17メートルの鉄筋コンクリート三層四階建ての天守閣が姿を現しています。前原さんに伺いますと本当の名称は「御影(みかげ)城」というのだそうですが、日系人の皆さんは「前原城」と呼んでいます。
天守閣を近くから写真を撮影しますとこれがパラグアイに実際に在るとは思えません。ただよく見ますと石垣の部分にパパイヤが自生しており、南国らしい雰囲気を出しています。天守閣の上に登りますとパラグアイの雄大な景色が眼下に広がります。前原さんの話ですと「早朝に来ると霧が一面かかっており、それがまるで海のように見え、瀬戸内海の景色のようだ」との事です。すばらしい景色を眺めていると深さんの願っていた事が理解出来るような気がします。
内装はこれからです。前原さんに拠りますと日系社会の役に立てて欲しいという意味から、内部は日本人移住資料館とする構想を持っているそうです。名所の少ないパラグアイの中ですばらしい新名所であるとは間違いないと思います。
画像右上・左上:高さ17メートルの鉄筋コンクリート三層四階建ての御影城(別名:前原城)
画像右下:天守閣から眺めたパラグアイの雄大な景色
画像左下:瓦は愛媛県の菊間瓦で、専門の職人が工事をするという本格的なものです。飾りは高知城の檜。
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