■日本語のクラス 2007.1.16 update

アルゼンチンで一番長くやっている職業と言えば、日本語教師です。到着時からなので通算16年になりますが、15年続けている場所が、今回ご紹介する元国立高等語学院、現在のブエノスアイレス市立レングアスビーバス高等語学院フアン・ラモン・フェルナンデス校、レングアスビーバスとは生きた言葉というとおり語学に重点を置いている教育機関でアルゼンチンでは、一番レベルの高い外国語大学です。

英語はもちろん、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語の教員養成と翻訳学科がありますが、ここの選択外国語科目の中には、英語、フランス語、イタリア語、ポルトガルのポルトガル語、ブラジルポルトガル語、アラビア語、ロシア語、中国語、そして、日本語があります。アルゼンチンには30くらいの公私機関で日本語が教えられていますが、当地では唯一、教育課程の中に組み込まれている単位の取れる科目として教えられている場所で、現在日本語(1)、日本語(2)、日本語(3)の三クラスがそれぞれ週二回、開講されています。

16年前に、日本政府からの無償供与により、LL教室が二室、そして、ビデオ編集室が寄贈されました。その当時は画期的な機器でした。それと同時に日本語講座も開設されることになりました。残念ながら、LLは音声学の授業に占領されているのですが、日本語の教師陣は基本的にネイティブなので、そんなに問題!?ではありません。

国立時代は、板書するのに、チョークさえもありませんでした。どうしたら、いいのかと思っていたら、開講当初は英語科の先生も生徒になっていて、自分で用意しているマイチョークとマイ黒板消しを日本語の先生に貸してくれていたので、それから自分で持ってくるべきだとわかりました。

カセットデッキもオーディオ機器管理課から借りてきても、教室によりコンセントの種類がちがっていてまたアダプターを取りに行ったり、または調子が悪くなって使えないこともしばしば、これはLL教室やビデオ教室を予約していても同様。だんだん今日の授業案を考えても、使えない器具などがあれば、一環の終わりです。当然柔軟な体制が必要になりだんだん、どんな状況でもクラスができるようになります。


また一方で、講座は実は公開講座にもなっているので、地域の別の大学の学生や、18歳以上の一般社会人、年金受給者もやってきます。そして、皆さんの都合でクラスに出席するのですから、10人の生徒でも、月曜日に5人、水曜日に5人の出席、全く顔ぶれが違うのではなく、微妙に重なっていたりすれば、水曜日は、月曜日の完全な続きの授業ではなく、復習をしながら、かつ新しいところを学んでいる人に気を使いながらになります。年齢も、ある年には、18歳から74歳が同じクラスにいるというカオス的な状態でした。

学生層は、一時アニメブームや武道好きな学生が増えていましたが、かなり淘汰され、本来の語学が好きな、そして、日本語を選ぶちょっと変わったまじめっぽい生徒が20代から40代程度に落ち着いてきました。普通に働いていながら、大学にも行っている人がほとんどの中、日本語は、他のヨーロッパ言語とよりも、もっと専念して、時間をかけて、特に文字なども書いてもらわなければならないので、勉強が追いつかないことが多いのですが、それでも、逆に、「漢字が魅力的」「語学的興味」「日本文化が好き」という人たちが、現在私が教えている三年目相当の日本語IIIまで、週二回 2コマの授業を受けて2年間すごして来るまでになるのは素晴らしいことだと思います。


今でこそ、インターネットが一般化し、Jポップがダウンロードできたり、アニメが一般の映画館で公開されたりします。今年から一部の学生はMicrosoft Wordで打った作文を持ってきました。本当に便利な世の中になりましたし、遠い日本というイメージも少なく、国際交流基金のおかげで、当機関の外国語大学の一般学生で、条件を備えていれば、日本語をシュ専攻としていない学生の招請というプログラムで大阪へ2ヶ月近く留学にいけるようになっていました。

幸いチョークがいつもあるようになり、教室のイスなどもきれいに整頓されていることが多いなど、学校がブエノスアイレス市に移管されて、よくなった点もありますが、学ぶのに大変なのは今も昔も同じです。そして、辞書などの書籍でさえ、ドルの価値が高い今、取り寄せて購入するのはなかなか困難です。

それを乗り越えて、3月から12月初旬の講座を終了し、最終の日本語(3)の筆記口答試験をパスしても、今現在日本語(4)が開講されないので、学生達は一体どこにいけばいいのでしょうか。仲良く頑張って試験勉強している姿を見ながら、とても複雑に思います。

画像説明文
画像1段目右:真ん中にあるベージュの古い建物が学校です
画像1段目左:新校舎
画像2段目右:旧校舎。これが外から見える建物の内側。何と日本語講座が始まる時期にイスラエル大使館爆破事件があり、それが学校の真裏でありまして、そのダメージで新校舎を作ることになりました。いろいろあるけれども、もうそんなことはないので、よかった。。。
画像2段目左:「みんなの日本語」がテキストです。もう一冊は皆で読んだ日本の昔話「ももたろう」など。この金髪の女の子はアメリカ人。スペイン語留学のついでに参加しました。その横の日本人も、スペイン語の語学留学で来ています。スペイン語のレベルがみんなの日本語と同じくらいでちょうどいい!
画像3段目右:これはある日のクラスの風景。。。廊下にいるのは突然、私たちの教室の電気が消えたから。。。15年の間で初めてかな(右端が筆者)。
画像3段目左:旧校舎の廊下はクラッシックで素敵。
画像4段目右:普通の教室。私たちはこの半分のサイズ、、、疎外されている。。。

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画像説明文
画像1段目左:玄関の学校の盾章、そして横にあるのは1904年から2004年で、創立100周年であった。
画像1段目中:英語の先生が、出勤簿にサインするポーズをとらせてくれました。学生のような若いかわいい先生。。私も!?
画像1段目右:事務室(べデリアーすごい古いスペイン語で普通のアルゼンチン人もわからない名称)のカリナさん。「給与明細受領書にサインをしないとだめよー、先月忘れたでしょ!」と呼び込んでくれる。
画像2段目左:教務室のラウラさん。出勤簿チェックの鬼! 先生が出勤したときのサインと、帰るときのサインの場所を間違うので目を光らせている。なお、15年で「TOMOKO SENSEI, KONNICHIWA」しか覚えてくれない。そして、いつも日本人の男性を紹介してくれと言うので、今回登場。
画像2段目中:事務室のミルタさん。私が休むと「ちゃんと欠勤届を出しなさい」としかってくれる。
画像2段目右:カフェテリアのレジのお姉さん。「ちゃんと働いているところを撮ってね」という。ちなみに、、、これら出てくれた女性は全てセニョリータ。即ち、未婚女性です。。。学校で働いているとどうしてもそうなっちゃうのかしら。。。


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