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いろいろ招待されることが多い。ノコノコ伺う方も問題だが。明日は、友人ちへ行く予定。友人のお母さんのボルシチをご馳走になる。彼のお母さんには大変お世話になった。 家に招待されるというのは、最高級のもてなしである。 今は亡き私の先生も、「いつかはボルシチ御馳走するからね、わたしもちょっとしたものなのよ」という言葉がいまも耳の奥にのこっている。はにかみながら言った姿に、ウクライナ女性の心意気が伝わる瞬間だった。
もてなしは、自分の作ったものを出すということで、最大限の信用を示したものである。今の日本では、なかなかそんなことしないかもしれない。簡単にレストランに招待しておわりということが多くなっているように思う。 別段、特別の料理が出るわけではない。しかし、ボルシチを御馳走になるというのは、非常に特別の意味がある。必ず、こちらの人はボルシチを褒める。この料理の存在自体を褒めるのである。
ボルシチは、頻繁に食べるという意味では、いわば日本の味噌汁みたいなものだ。一回なべにいっぱい作って、何日にもわたって食べる。 ルビー色のスープは、まさにウクライナ人の血となり肉となる、エネルギーの源となっている。しかし、こうしたボルシチも男所帯では、なかなか出てこない。そういう意味でボルシチは母(女)の味なのである。
飲むことが多いのであるが、やはりホリールカ(=ウォッカ)になると、女性は敬遠することが多い。ウクライナ男のていたらくの原因が、これにあると思っているからだ。しかし、意気投合して、「付き合うよ」といって、チャールカ(=杯)を手にしたときのウクライナ女性の腹の座った姿勢は、男の比でははい。
さて日本でなら、招かれると「さて、今日はなにが出るかなぁ」なんて唾を飲みこみながらいろいろ想像するだろう。しかし、ウクライナでは違う。ここはやはり文化の違いなので、参考として思ってほしい。食文化は、清汚の文化とともにもっとも差異の出る部分であるから。といっても、こうした意識の構造には、いろいろ共通点をみいだすことがでるのだが。
たとえば家に帰って、きょうの料理はなんだった?と聞かれる。これは日本でも同じ。ここで日本なら、「今日はね・・・・」と珍しいもの、あるいはうわさに聞いたものなど、なにか目新しいものが話題になる。ところが、ウクライナは違う。あれとあれと、あれが出された。その「あれ」とは、別段、特別な、あるいは珍しい料理、あるいは、目新しいものではない。ごく普通に食卓を毎日飾っているものがほとんどである。
ウクライナの場合、評価はいかに上手に料理しているかがポイントである。ここで、勘違いしてはいけないのは、ウクライナ料理には種類がないと考えてしまうことである。日本料理が特殊なのである。酒の肴からはじまって、小鉢ものなど料理のバリエーションが多いのは日本料理ぐらいである。もちろん、これは現在の日本の都会での料理をもとにした意見である。
もっともウクライナ人は、食べ物に関して非常に保守的であると感じることが多い。新しい素材の情報がないのも原因かと思われる。日本は、料理番組がむやみに多い。だが感心なのは、基本的な料理の方法をおさらいする番組が多いことだ。ウクライナには、いかに豪華な料理を作るという番組しかない。今後こうした番組がでてくるとウクライナの料理もかわっていくかもしれない。
画像上:食卓にならぶ料理。魚のマリネ。イクラ付きのパン。チーズのせのトマト。野菜のマヨネーズあえサラダ。ウクライナは超マヨネーズ王国である。
画像中:上の画像の拡大。紫色のは、ブリャーク(赤カブ)を使ったサラダ。ボルシチの材料になるもの。まさにルビー色である。奥さんが説明している。
画像下:うかうかしているどんどん皿にもられていく。とにかく食べさせられる。同時に飲む。ウクライナでは、食べきらないほど料理を出すことが、美徳とされる。足りないなど言語道断なのである。
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