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ドニプル川の中流、ソ連時代に作られた最大のダムのひとつがかかる、ザポリッジャという町がある。このザポリッジャという町の名前は、コザックと呼ばれる男たちの大本営(シーチ)があったことで有名である。
通常コザックといえばザポリッジャ・コザックのことを指す。17世紀半ば、姦計にひっかかりロシアに併合されることになり、その後ロシアのエカテリーナ2世(在位1762年〜1796年)が、強力な軍隊組織であったコザックたちの力を無くすために、ザポリッジャのシーチを解散させた。その後コザックたちはドナウ川に移り、そこにシーチを開き、1825年ごろまで対トルコとの最前線で命をはることになる。その後、ロシア領に移住させたれたのが、いわゆるロシア・コザック(ドン・コサック)などである。
さてシーチが開かれたのは、ドニプロ川の岩に囲まれた川中島であるホルトィツャである。この島で軍隊教練から教育、そして政治的決定までさまざまな儀礼や訓練がされた。その組織は民主合議制がとられ、実に優れた社会組織であった。当時は女人禁制であり、まさに男たち、コザックたちの聖地であった。
しかし、この島が、聖地として考えられたのは、なにもコザックの時代からではない。遠くは、すでにヘロドトス(古代ギリシアの歴史家)の記述にあるとされ、当時から非常に特別視された島であったらしい。それを裏付けるように、島にスキタイやそれ以前(紀元前2000年から3000年)の遺跡、それも墓、聖域と考えられる遺跡があちらこちらに見られる。伝説ではこの島には蛇人間の一族がいたようである。まさに東ヨーロッパ最大の伝説と神話の島である。
民俗学では、このように異教時代からその後の新宗教の時代も通じて一貫して聖域と考えられた場所のことを、大地の臍という。古い宗教の聖域を壊したり穢れさせたりして、そこを自分たちの新しい聖域にするのである。
この島は、今は一大保養地になりつつある。このようなウクライナが世界に誇る意神話の島であるが、対岸の町はロシア語の町である。ウクライナ人は根っからの農民である。有名なコザックたちも、戦時以外は単なる一農民であった。現在でも、都市から離れた村々では、ウクライナ語が普通である。
帝政およびソ連時代にロシア人が都市を作り、工場を作り、その労働者・技術者としてロシア人を入植させた。つまり町の言葉はロシア語なのである。今でさえウクライナ人が町の大半をしめるが、ロシア語の町にはかわりない。
いま、島には当時のシーチを再現する野外博物館が建設中である。もちろんすでに博物館はある。建物の周辺には発掘された異教時代の石像がオブジェのようにならんでいる。しかし、まだまだ観光のための整備には時間がかかると思われる。
神話や儀礼などウクライナの民俗研究は、独立後やっと公に研究することができるようになった。それまでは、「ロシアなるもの」を説明するための一資料としての扱いであり、禁止されていた。ウクライナ語も同様であった。なぜが帝政・ソ連時代を含め、この東ヨーロッパ最大の神話と謎に満ちた島の研究はさほど多くない。まさにこれからである。このスキタイ以前から聖地とされ、コザックが聖地に選び要塞化し、一大組織を築き上げた島は、これからのウクライナの文化・歴史研究や観光などの発展に大きな潜在性を秘めている。
画像右上:断崖と岩で囲まれたホルトィツァ島。天然の要害である。下流部分は入り江になっており、すばらしい自然が残る。隣には「小さなホルトィツァ」と呼ばれる島があり、そこも一時期大本営(シーチ)となった。
画像左上:4,000年前の聖域跡の再構成。ストーンサークルである。こうしたものがいくつか他にもある。
画像右下:クルガン(土饅頭型の古墳)に立つ、2,000年以上の前の石像。博物館にも集められている。中には飛鳥の猿石を髣髴とさせるようなものも。
画像左下:ドニプロ川にかかる巨大なダム。このダムのせいで一部遺跡が沈んだりした。
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