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ウクライナ文化で一つ取り上げるとしたら、やはり最初にウクライナの民俗歌謡があげられる。朝御飯を食べる前から歌をうたっているというぐらい、歌好きである。おもに歌い手は女性である。その声は独特の野太く、一本筋の通った独特の裏声をつかう。それが、果てしない森や草原、静かな湖のほとりに響き渡る。その姿は、歌がもともと呪歌であったことを再確認させる。かつては一人の女性で1000曲以上の歌を記憶し、歌っていた。よって、集められたウクライナ民謡の本は、本当に無数にある。
歌を歌うのは、もともと日本でもそうだったが、祭日のときであった。現在の日本では民謡自体ほとんど日常では歌われなくなったが、ウクライナではすこしお酒が入ると、女達が歌い出す。一曲に10ほどの歌詞のバリエーションがあったりする。歌が歌われ出すと、自然に踊り出す。ホリールカ(ウオッカ)をしこたま飲んだ後、踊るのは、さすがに日本人には苦行である。この辺りが、ウクライナ人と日本人との身体のできのちがいである。
先日、全ウクライナ民謡コンクールに200キロはなれた町、ヴィンニッツァにいってきた。そこでは、講演発表して、そこからまた150キロはなれたハイシンという小さな町でコンクルールがあった。行ってみると、もう1,000以上の民俗衣装をきた男女が待っていた。その素晴らしい色とりどりの刺繍のされた民俗服は、時代を跳び越えて昔のウクライナが蘇ったかの錯覚を覚えさせる。さらに、女性達の美しいこと!!! ウクライナの女性の基本形は、黒髪、黒まゆ毛である。ロシア辺りになると、黒髪や黒まゆ毛は、異邦人の象徴であり、魔術師の象徴としてキワモノ視される。この点をとってもウクライナとロシアの文化の差異は歴然である。もっとも金髪は現代ウクライナ女性にとって憧れのまとであるが。
コンクールが始まる前から、ご自慢の歌発表会が道や公園ではじまる。これはコンクールが終わっても同様である。その時はほとんど全員で合唱会である。お婆さんの合唱団も多く、自分達の祖母や母から教わった伝来の歌を高らかに歌っていた。
ウクライナ人のもてなしの精神はすばらしい。わたしを一人にさせないように常に声をかけてくれる。道では全く知らない少女から、ウクライナの文化に関心をもってくれてありがとうと、花とお言葉、それにキスをいただいた。讚えるべき人には、初対面でも臆することなく、「あなたのために」と感謝とお礼を述べにいく。日本とは異なった「礼」の表現である。
よく日本の民謡を謡ってくれといわれるが、残念ながら知らない。日本は面白い国で、明治時期のヨーロッパの音楽教育を取り入れた際に、それまでの日本の歌の旋律はことごとく駆逐された。現在の日本の民謡も実は新しいものが多く、ウクライナのように途切れることなく伝わっているということが少ない。
女性達の服には、おもに世界樹(生命の木)や蛇などをモチーフにした幾何学文様が刺繍されている。赤・黒・青の糸に花柄のパッチを付けたりとほんとうに美しい。布地は麻である。あと、赤いブーツを履く。かつては日常は裸足で、祭日にはブーツを履いた。乙女達は頭に、花かざりと五色のリボンを長い髪に編み込む。結婚すると布で髪全体を覆うのがしきたりだ。当たり前だがこんな姿をして歩いている女性は、もういない。しかし、現代的な意匠で、洗練された普段着用の民俗柄の服が出始めている。こうした服や小物は根強い人気がある。自分のセンスをアピールすることに長けているウクライナ女性には、服は自分で縫うということもよくあり、いろんな自作用の雑誌もでている。
画像上:ポリーシャといわれるベラルーシとの国境辺りの民俗衣装。ここらは、ブーツが黒色。この地域はウクライナ三大民俗宝庫の一つだったが、チェルノブイリ事故で大半を失った。世紀の損失で痛恨の極みである。
画像中:青と白の服の人は、歌の先生。新しい意匠デザインの民俗柄の服を着ている。こうした服は、みんなお手製で世の中に一つだけ。一年に何度か開かれる民芸品バザールなどで買うこともできる。
画像下:民俗博物館の内部。ルシニクという聖なる布が掛かっている。この描かれている文様もとても美しく、古代から続くものである。
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