|
今回は流行について書きたい。日本の場合、ヘアスタイル、服装、着こなし、色などひとつの流行があると多くの女性が飛びつく。特に若い女性にその傾向が強いように感じる。街を見ると同じような格好をした女性を本当に多く見かける。私事であるが、先日帰国した際に街である女性を見かけた。後ろ姿からヘアスタイル、ファッションセンスなどから知り合いの女性だと思い、声をかけたのだが全くの別人だった。驚き、不審に思う彼女に理由を述べ謝罪し、その場を離れた。
それから街を注意して観察すると、それがファッションの流行である事がわかった。同じような格好をした女性をあちらこちらで見かけるからだ。しかし過去の日本を見返ると、流行は数年過ぎると誰も見向きもしなくなる傾向が強い。それどころか「古い、格好悪い」というレッテルが貼られてしまう。自分自身が数年前にそのような格好をしていたのにもかかわらずだ。
その流行を知らない外国からの訪問者の立場から見ると、確かにその流行は素敵だとは思えず、数年後には笑いの対象になるであろうと思われるだろうと安易に想像できるのだが、「流行」というだけで多くの人が飛びつく。面白い傾向だ。
今度は年配の人たちを見てみよう。こちらもやはり同じに見える。歳を重ねると段々と服装が地味になる気がする。なるべく目立たない、周囲と同化するような傾向にあり、やはり皆が同じに見えてしまう。
さて、コスタリカはどうであろうか? コスタリカの目抜き通りである歩行者天国を見てみる。金曜日の夕方頃などは着飾った人、オフィスからの帰宅途中の人、これからお仕事へ行く人など様々だが、誰一人として同じ格好をしている人はいない。各々が自分の好きな格好をしており、何が流行なのか一目ではわからない。流行色すら存在しないように思える。赤、黄色、ピンクなどの原色もあれば自然色に近い人たちもいる。本当に各自が自分の好きな色を着ている様子だ。
注意してみると確かに流行はある事に気が付く。例えば女性が「オヘソを出す」というのも流行のひとつだ。しかしオヘソを出すという事に関しては同じだが、やはり皆が同じではなく1人1人が全く別々だ。オヘソを出すスタイルを保っていながらも着こなしや服装などは個性的だ。
各自が自分の好きな格好をしているが、それが各自に似合っている、似合っていないは別だ。先に書いたオヘソ出しスタイルだが、それが似合っているセクシーな女性もいれば、お腹のお肉がジーンズに乗っかっているような女性も堂々とオヘソを出して歩いている。
ここにコスタリカの国民性を感じる。コスタリカ人は他人がどのような格好をしていても、それが清潔であれば何もいわない。「その人が好きで着ているのだから問題ない。」というスタンスだ。それはファッションだけでなく生活スタイルなど全般に同じ事が言える。他人に迷惑をかけなければ問題ないという考えだ。
例えばお腹のお肉がジーンズに乗っかっているような女性を見かけた場合、日本人の多くは「あんなお腹なのに、あんな格好をしてみっともない」と思う人が多い気がする。年配の女性がハデなピンクや黄色などの原色のスーツを着ていると、「歳なのにあんな格好をして」と笑いや誹謗の対象になる事が多い。そしてそれを知っているからお腹に自信が無い女性はオヘソを出して歩くような事はしないし、年配の女性は地味な格好になる。
しかしコスタリカ人は「自分に似合っている」という自信がみなぎっている。それが正しくない場合もあるが、そういう自信がよりキレイに見せるのであろうか? コスタリカが中南米三大美人産地と呼ばれる原因のひとつかもしれない。コスタリカ人は流行に左右されずに好きな服を着ている。それは正しい姿だと思う。
|