■ハンガリー動乱50周年 2006.11.7 update

50年前の1956年、ソビエト連邦の共産主義支配に不満を持った国民により10月23日に蜂起が勃発。国会議事堂前には大勢の人々が集まったものの最終的にはソ連軍に鎮圧され、終焉を迎えました。ハンガリー動乱と呼ばれるこの蜂起、2,600名もの犠牲者と18万人もの国外亡命者をだしました。

毎年10月23日の祝日には議事堂前でセレモニーが行われます。首相、大統領、各国大使などの要人が勢揃いし、騎馬隊が立ち並ぶ厳かな式典。50周年にあたる今年は、政府の気合の入れ方に本腰が入ります。随分と早い時期から米ブッシュ大統領に式典参加の熱いラブコールを送っていました。

6月にウィーンで開催された米・欧州連合首脳会議への出席にあわせてブダペストに立ち寄るという形でブッシュのハンガリー訪問はお茶を濁され、残念ながら50周年記念の式典参加は実りませんでした。ハンガリーの地をぜひ米首相に踏んでもらいたいと、現ジュルチャーニ首相は切望していました。しかし、結果的には今回の式典に併せてブッシュが来訪しなかったのは、大きな幸運だったといわざるを得ないでしょう。

海外から数名の王族が式典に参加する華やかな雰囲気の雲行きが怪しくなってきたのは、9月半ばを過ぎた時のことでした。

ことの始まりは今年の4月。4年に一度の総選挙が行われ、1989年に共産主義体制が崩壊して以来の初の同一政権続投となりました。3月末まで、派手な選挙活動が繰り広げられていました。与党である社会党首相、ビル・ゲイツ似のジュルチャーニは体制が崩壊した後、法規制の基盤が固まる前に隙間をくぐって財を成した経済界のプリンス。中央広場ヴォロシュマルティや、歴代の英雄の銅像が立ち並ぶ英雄広場の前で、大々的に選挙活動を展開。赤い風船が青空に吸い込まれ、集会の終わりには必ずテーマソングが歌われました。


対する野党の党首は、1998年に35歳で首相となりTIME誌の表紙にもなった青年民主同盟フィデス、オルバーン・ヴィクトル。シンボル・カラーであるオレンジ色の旗を掲げ、終盤戦では議事堂前や王宮で握りこぶしをふりかざし大演説を繰り広げて民衆の心を揺さぶりました。

ジュルチャーニ首相もオルバーン党首も、喉はがらがら、頬はこけ、目を真っ赤にしながらハイパーテンションで選挙活動を乗り切りました。結果は社会党の勝利となり、経済に明るいジュルチャーニは財政赤字を減らすため、増税、医療初診料導入、教職員リストラ、学費の値上げなど数々の政策を早々に実施、延期になっているユーロ導入に向けてざくざくとメスを入れていきました。

ところが国民にとってはこのメスがかなり大きかったようです。日々の生活への負担が急激に増え、ボディーブローのようにじわじわと効いてきました。そして現政策への不平不満が憎しみ・怒りへと変わり、とうとう爆発してしまったのです。

10月1日に地方選を控えた9月17日、ジュルチャーニ首相の「我々は最後の2年間うそをつきまくっていた」と粗野な表現を使った内容のテープがメディアを通して公にされてしまいました。激怒した市民が首相辞任を求めてデモを展開。国会議事堂前に集まっていたデモ隊の一部が自由広場に移動した後、テレビ局に乱入し、120名以上のけが人をだしてしまったのです。1956年以降で最大のデモ・民衆蜂起となり、一時は旅行客が激減。数日間は夜中に民衆と武装警官の衝突が続きました。

デモ隊を抑えられなかった政府の失態に野党オルバーン党首は笑いが止まりません。暴徒化した騒動の翌日のテレビのインタビューでは、顔面から「してやったり」の締まりのない笑みがこぼれ続けていました。


それでも地方選当日に近づくに連れて事態は緩やかにフェードアウト。日中の街中は落ち着いたものでした。議事堂前で行われた穏やかな反政府デモ隊への応援炊き出しには乞食がむらがり、政党など無関係に日頃のはけ口をさがす労働者や国粋主義者の溜まり場となってしまいました。地方選挙はフィデスの圧倒的な勝利。ジュルチャーニ首相に辞任要求をつきつけましたが、首相続投が決定されました。

「10月23日の議事堂前での式典では何かが起こる」と、人々は囁きあっていました。

23日明け方、ジュルチャーニ首相の辞任を要求するデモ隊と警察が小競り合い、若者達が保持していたナイフが没収され、警察は議事堂周辺の閉鎖を決定しました。朝9時からの式典参加を楽しみに集まってきた人々は、全く近づけない厳戒態勢にブーイングの嵐。国民の気持ちが一丸となったハンガリー動乱、その50周年の名が泣きます。

騒ぎが本格的になってきたのは夕方からのことでした。国会議事堂から追い出されたデモ隊が場所を移しながら中心地へ。更に4時に計画されていた大規模なフィデスの集会に集った支持者が加わり、警官隊と睨み合いになりました。

国旗を掲げた老若男女が「ジュルチャーニよ、でていけ」のシュプレヒコール。興奮が最高潮に達し、とうとう武装警官が事態収拾のためにガス弾や放水車を使うまでに至りました。違う場所ではハンガリー動乱の記念日のために展示されていたソ連の戦車を奪取、警官隊に突っ込む出来事もありました。

「どうして大事な祝日にこんなことが起きるのだろう」と、ハンガリー人の友人は嘆きますが、大事な日にこそ惨事を引き起こしたと思われる野党党首。まだしばらくブダペストは落ち着かない日々が続きそうです。

画像右上:熱弁をふるうジュルチャーニ首相(4月の総選挙)
画像左上:与党である社会党の赤い風船(4月の総選挙)
画像右中:国会議事堂前で選挙活動中のフィデス。シンボル・カラーはオレンジ色(4月の総選挙)
画像左中:9月の、議事堂前での反政府活動
画像右中下:フィデスの集会に集る支持者達(10/23撮影)
画像左下:武装警官隊(10/23撮影)
画像右下:警官隊の放水車(10/23撮影)

【短信】本文中の警察と市民の衝突は未だ続いておりますが、観光場所にはあまり影響がなくのんびりとした空気が流れています。9月に発生したデモ同様、野党のネガティブキャンペーンに労働階級の不満の捌け口が利用されているように映ります。(10/26)


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