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まだ5月だというのに陽射しは強く、レストランや喫茶店が出店するテラスでは観光客のドイツ人やイギリス人が1リットルのジョッキ・ビールで乾いた喉を潤しています。市内観光の合間には楽しい買い物も欠かせません。近隣ロシアやウクライナから入荷された旧ソ連軍の帽子を北欧人が購入し、早速頭に被せて上機嫌。中心街は夜遅くまで賑わっています。
日本人にとって旅先でのお土産探しは頭痛の種。勤め先や親戚への配布用にお勧めなのは、軽くてお値段もお手頃な伝統工芸品の刺繍や小物など。逆にハンガリー特産物ではありますが、価格にも持ち運びにも難があるのがワインやフォアグラの缶詰です。
そしてもうひとつ、お土産リストの筆頭でありながら、なかなか手が出ないハンガリー・ブランドの代表例に高級磁器メーカー、ヘレンド(Herend)があります。日本より物価安のハンガリーですが、小さな置物を大量購入しようと策を練ってはみるものの、予想以上の値段に驚いてそのままお店をでてしまう人も数多し。年月をかけ、熟練工によって丁寧に作られてきた芸術品に対し、老舗の誇りが安売りを許しません。
17世紀まで磁器の製造方法が確立されず陶器の歴史しかなかったヨーロッパ人にとって、紀元1世紀頃には既に生産されていた中国の磁器を所有することは、当時の君主や貴族にとっての一種のステータスでした。薄いのに堅く、白色に輝く「東洋の器」で宮殿や屋敷を飾るために莫大な費用をかける貴族や、製造方法を解き明かそうと研究を重ねる君主達。17世紀半ばの清朝の鎖国政策により中国陶磁器の入手が困難になると、中国製に替わって日本の陶磁器が注目され始めました。漸く、製造方法が明らかになり、18世紀にマイセンで磁器工場が設立されてから、ヨーロッパ各地に磁器生産が広まりました。
ブダペストから125キロの距離にあるヘレンド村で、1826年に最初の作業所が設立されたとの記録が残るヘレンド。村が位置するヴェスプレーム地区周辺で発掘される陶芸の破片から、以前からこの地域が陶器生産の盛んな場所であったことが窺い知れます。創業者のシュティングル・ヴィンツェ・フェレンツの建てた作業場は工場といえる規模のものではありませんでしたが、5年ほどかけて事業拡大。しかし資金不足のため、債権者の一人であったモール・フィッシェールに経営権を譲渡しました。
1842年にハンガリーで初めて開催された産業展示会に作品を出展、デザインの艶やかさが人々の目を引きました。1851年のロンドンで行われた万博でヴィクトリア女王が中国風の絵柄を特注。蝶と花が描かれた模様はヴィクトリア女王デザインの名の元に、現在でもヘレンドの人気シリーズとして知られています。万博や展示会での入賞が効果的な商品プロモートであることは古今東西同じこと。その後もヘレンドは企業努力を続け、1855年パリ、1873年ウィーン、1901年のサンクト・ペテルブルグなどの万博で次々とメダルを獲得、世界での名声を確固たるものにしました。
ヘレンドの名を世に知らしめたモール・フィッシェールの息子の経営難時代、チェコの陶磁器生産が急成長、強力なライバルとして出現。更に共産主義時代の工場国営化への移行など、長年の企業存続の間には数々の困難な壁が立ちはだかりました。同様の荒波に晒されて消滅した陶磁器メーカーがある中で、ヘレンドが生き残ることのできた大きな要因は、常に時代に併せたデザインを開発し続けてきたことでしょう。また、昨年12月と今年2月には新しいヘレンド直営店がブダペストに2軒登場しました。ヘレンド村にある工場もレストランを併設したりと、常に新しい販売戦略を模索しています。企業努力を怠たらないからこそ、ハンガリーの老舗の代表格として存在し続けるのです。
時間が許せば、蚤の市やアンティークの掘り出し物探しを楽しんでみては如何でしょうか? 旅行に花を添えるかもしれません。ヘレンドだけでなく、ヨーロッパでの磁器メーカーにとって日本人のお客様はどこでもお得意様。でも、300年前は中国と日本にとってヨーロッパ人がお得意様だったということは、非常に誇らしいことではないでしょうか。
画像上:ブダペスト市内の直営店
画像中:ヴィクトリア模様の皿とカップ
画像下:ヴィクトリア模様の皿
【短信】毎年恒例の春の「ブダペスト音楽祭り」(3月半ばから)が始まると、次々と各地で催し物が開催されるようになります。先週末は、ブダペスト郊外30数キロに位置するワイン産地、エチェクのワイン祭りに行ってきました。此方の方がブダペスト市内で行われるワイン祭よりも地域色の出たお祭りで、街に点在する各ワイン蔵で、その他の地域のワイナリーと共同でワインを振舞います。(5/24)
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