■7つの橋 2006.3.6 update

ブダペストの街を縦断するドナウ河。そのドナウを挟んで街はブダ地区とペスト地区に分かれています。かつてはオーストリア人や上流階級が中心に住んでいたブダ地区と商業地区として発展したペスト地区を結ぶために、19世紀半ばから鎖橋を始めとして次々と橋が建設されました。現在は7本が二つの地区を繋いでいます。

最も有名な鎖橋は、ブダの王宮へと導くケーブルカーの入り口クラーク・アダム広場と、観光場所として一番栄えているペスト地区のルーズベルト広場にまたがっています。第二次世界大戦時、ドイツ軍によって破壊されましたが、戦後に改修され現在に至っています。日が暮れる頃にバロックスタイルの王宮と共にライトアップが始まり、「ドナウの真珠」と賞賛される景観を織り成します。深夜0時には橋と共に王宮のライトアップが消されると夜の帳の中、深い紺色のドナウに鎖橋が沈んだかのように、ドナウの真珠は宝石箱にしまわれます。また年に数回の祝日や季節のイベントでは通行止めとなって出店が並び、旅行客や地元民がハレの日を楽しむ中心地となります。

最近は郊外に家を構える市民が増えたため、人口が流出している首都ブダペスト。郊外から中心地にマイカーで通勤する人が増加し、交通渋滞が問題となっています。社会主義時代には注文してから手に入るまで10年くらいは待たなければならなかった乗用車。しかも全額現金払いでなければ購入できなかったのですが、ここ数年でローン払いができるようになって自家用車を所有する世帯が多くなりました。ところが道路整備は遅々として進みません。

そんな中、7本の橋のうち2本の改修工事が予定されています。ひとつは温泉で有名なゲッレールト・ホテルと中央市場を結ぶ自由橋。元々はフランツ・ヨージェフ橋と呼ばれていました。1896年のハンガリー建国1000年祭にオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝であるフランツ・ヨージェフが除幕式に自ら銀のびょうを橋に打ち込み彼の名前がつけられました。鎖橋と同様に第二次大戦で爆破され、戦後、一番最初に修復されて現在の名前になりました。路面電車と車の往来で橋の傷みがひどく、この橋の下を通る予定の地下鉄4番線の工事開始を機に橋自体の修復に入るそうです。修復計画は1年ですが、2年はかかるだろうと言われています。

もうひとつは1872年に着工されて4年で出来上がったマルギット橋。元々建築方法に問題があり、7本中最も傷みが激しい橋です。全面的な改修工事が長い間要求されていますが、代わりの新しい橋建設が終了しないことには現在の交通渋滞問題が一層深刻になるとのことで、先延ばしにされていました。ところがこの新しい橋建設も計画通りに進まず、新たな解決策を見つけなければなりません。たった7本しかない橋でひどい交通渋滞を引き起こすのに、2本も同時期に通行止めになったら一体どうなるのでしょう。

最後に余談ですが、マルギット橋は飛び込み自殺の名所でもあります。19世紀の詩人、アラニ・ヤーノシュが橋からの飛び込み自殺者のバラードを書き、自殺志望者のメッカとなってしまいました。その詩をモチーフとした作品をハンガリーの代表画家ムンカーチ・ミハーイが残しています。実際散歩中に、マルギット橋だけでなく、自由橋に上って救急隊を出動させ、橋を通行止めにしたお騒がせな自殺志望者に何度お目にかかったことでしょう。

普段は日常生活に溶け込み何気なく利用しているこれらの橋々、なくなってしまったら美しい景観も便利性も損ない、困ったことになりそうです。

画像上:鎖橋とペスト地区。ドナウの川面には流氷が浮かんでいる。
画像下:自由橋。今年、流氷は1月下旬から2月半ばくらいに見られた。


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