■古傷も既に過去のものに・共和国記念日 2005.11.7 update

3月15日の独立戦争記念日、8月20日の「聖イシュトバーンの日(建国記念日)」に並び、10月23日の「ハンガリー共和国記念日」には国会議事堂前でセレモニーが行われます。今年は前日に小雨がぱらつきましたが、当日は曇り空に覆われながらも雨に降られることなく、毎年恒例のこの祭事を無事終えることができました。

議事堂正面の階段には現首相や大統領、各国大使が厳かに整列。目の前の広場に行儀よく並ぶ小騎馬隊の馬達が、国歌斉唱をおとなしく聞いています。集まった国民の前で国旗が掲げられ、記念日のきっかけとなった1956年のハンガリー動乱で犠牲になった人々へのお悔やみがアナウンスされます。

第二次世界大戦後以降の旧ソ連による支配、共産主義の恐怖政治に脅かされていた民衆が、自由を求めて1956年10月23日に蜂起しました。ラジオ局の前から始まった技術大学の学生によるデモが、ハンガリー歴代の英雄の銅像が立ち並ぶ英雄広場に一万人もの民衆を引き寄せ、1953年に没したスターリンの像を引き倒しました。更に夜には国会議事堂前に20万人もの群衆が集結。残念ながら翌月にはソ連軍が介入し、蜂起は鎮圧されてしまいます。

多数の犠牲者がでて、国外に約20万人が亡命。当時14歳であった友人は街を走行するソ連軍の戦車から発砲される大砲の音に慄き、自宅で耳をふさいでいたとのこと。危険を承知で外出し、何とかコンタクトのとれた友人と隣国オーストリアに逃げることを約束しました。国外逃亡に母親を誘いましたが、母国ハンガリーを愛する母親は「私はハンガリー人だから」と頑として動かず、結局、母親と共にハンガリーに留まることにしました。

「あの時ハンガリーを捨てて外国に行っていたら、間違いなく私は別の人生を歩んでいた」…共産主義の抑圧された政治の下、父親がブルジョワだったために、彼女自身は学校一の秀才であったのにもかかわらず大学進学の夢を絶たれました。人生を政治に翻弄された彼女ですが、共産主義が崩壊して16年が過ぎた今、若い世代に希望を託しています。

数年前までは一年で最も華々しかった議事堂前のセレモニー。赤・白・緑で彩られたハンガリー国旗を、集まってきた市民に販売する若者が多くいました。国民は56年の出来事を「革命」と捉え、国際社会には「動乱」と位置付けられている10月23日。近年では過去の古傷を振り返る記念日ではなく、若者や家族連れが楽しめるイベントに発展させています。ドナウ川をまたぐ鎖橋付近では特別舞台が設置され、ジャズ音楽や子供向きの劇を披露。手工芸を楽しむことのできる出店や、ソーセージやビールを販売する食事処には行列が。

来年は動乱が起こってから50年。当時を知る人は少なくなっていますが、過去を身を持って体験した人々は若い世代に史実を伝えようと、悲劇の起こった各場所に体験話をしに集まります。

自由を求めてデモが始まった翌日に、国民に担ぎ出されて首相となったナジ・イムレ。動乱のあった1年半後に、元首相でありながら国家反逆罪を問われて死刑となりました。うつ伏せのまま木箱に入れられて埋葬された彼の棺は共産主義が崩壊した1989年10月以前の6月に無縁墓地から掘り起こされ、再埋葬されました。

現在、国会議事堂の近くに立てられたナジ・イムレの銅像にセレモニーの締めくくりとして、SPに囲まれた首相と大統領が徒歩にて銅像に近寄り献花を行います。「ナジ・イムレを投獄したのはハンガリー人。30年という時間を経て、名誉回復という名目で彼を英雄扱いするのもハンガリー人。大衆というのは風見鶏ね」と、歴史をシニカルに分析する友人もいます。

年月を更に重ねていけば、街中にまだ少しは残っているソ連軍による当時の弾痕も消え、同時に歴史の悲惨さを語ることのできる人々も少なくなります。10月23日は、益々「楽しいお祭りの日」へと変化していくことでしょう。

画像右上:国会議事堂前に整列した各国大使
画像左上:式典での騎馬隊
画像右下:式典に参列したショーヨム大統領(左)とジュルチャーニ首相(右)
画像左下:ナジ・イムレの像に献花をするVIP達

【短信】今年の10月は余り暖かくなることがなく、ぐんぐん気温が下がっています。また、今週末(10/30)からは冬時間に入り、冬の到来を感じざるを得なくなってきました。


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