■工事は遅々として進まず 2005.9.5 update

19世紀に建築ラッシュが到来したブダペスト、多くの建築家や職人がハンガリアン・ドリームを夢見て各ヨーロッパからなだれ込んできました。時代はオーストリア・ハプスブルグ家の影響力が帝国内各地で弱まってきた頃。しかし、オーストリアと二重帝国であったハンガリーの勢いは留まるところ知らず。バブルにのってネオ・ルネッサンス様式やネオ・バロック様式などの建物が莫大な費用を元に丁寧に建てられました。隙間なく建築物が並ぶ街は、どことなくウィーンの雰囲気に似ています。

ところが、第二次世界大戦後に旧ソ連の支配下に入り共産主義国となってからは、これらの素晴らしい建物の壁は、充分な管理がされず、黒ずんでいく一方。狭い歩道から見上げても、くすんだ壁に装飾された美しい彫刻やモザイクにはなかなか気がつきません。これらの装飾自体が汚れに埋もれて、目を凝らさないとよく見えないのです。

観光客がそぞろ歩き、外資系企業のオフィスが目立つ5番地区の建物は、歴史の紐を解くとそれぞれが興味深い歴史的背景を持っています。ドイツの貴族が住んでいたり、イギリスやイタリアの保険会社の投資によって建てられ、本国からの従業員の駐在事務所にしたり。しかし今は、ブロンズ製の門やドーム型の天井の模様の多くが埃まみれで泣いています。

建物の壁が汚れている原因の筆頭に挙げられるのは、排気ガス。共産時代、鉄不足に対する苦肉の策で紙に樹脂をしみこませてつくられたボディーを持つ旧東ドイツ製乗用車トラバント。この車を筆頭に、性能の低い東側の乗用車、大型車は青白い排気ガスを撒き散らしながらその時代を駆け抜けてきました。汚れたら修繕をするのが当然ですが、継続的にメンテナンスをしながら固定資産の価値を保つと言う概念がありませんでした。

体制が崩壊して間もなく、国民は国から破格値で自宅を譲り受けることができました。しかし、本来であれば中心地に住むことのできない低所得者層が維持コストの高い住宅に住んだため、管理費すら高負担になってしまいました。そのため修繕作業の資金が不足して、いつまでも修復に手をつけられないでいるのです。国等から多少の援助もありますが、行政は財政難を理由に本格的な支援はしないつもりです。

そして、ハンガリー人の仕事の能率性が低いことも忘れてはいけません。ドナウ川沿いに鎮座するご自慢の国会議事堂でさえ、修繕作業用の足場が常時組み立てられています。正面右から始まり、正面、左側へと永久に続くかと思われた作業。1周して全てが終わった頃には、最初に綺麗にした部分が既に黒ずみ始めます。先日、久々にドナウ川を挟んだ議事堂の対岸を歩いていて、完全に足場が取り払われた白く輝く議事堂の全景に気が付き、早速カメラのファインダーに収めました。

そのため、最近見かけた例外的な建物には驚きました。中庭に見事な噴水を構えるある銀行が、大して剥げ落ちてもいないクリーム色の壁の塗装工事にとりかかりました。潤沢な資金を持つ銀行、それなりの経費がかけられていたのでしょうか。足場が組まれてからの作業はあっという間。工事の遅延に高額の罰金が契約書に記載されているのか、現場監督が厳しい工程を守られたと感動すらしたものです。

修繕作業が一旦始まれば、その建物の住人や近辺の人にとってはひとまず嬉しいことではありますが、通りに面する一階に店舗を構える店主には頭痛の種。工事のための足場や建物全体を覆う布等で、お客さまから店舗の入り口が見えなくなってしまうのです。工事の期限は店舗営業への影響など全く考慮しませんから、見えなくなった入り口を引き立たせるために、色々な策を練らなければなりません。「店は閉めていません。営業中です」の看板文字からは悲痛な叫びが聞こえてきます。

「共産主義的な遺産を垣間見たいのですが」と多くの観光客の方が尋ねられます。西欧のサービス、大型店舗や製品が徐々に浸透しつつある東欧の面影として、レーニンやスターリンの銅像が置かれている野外博物館では物足りないのも頷けます。しかし、一斉に綺麗になることのないブダペストの街並みは、立派な共産主義時代の負の遺産と言えるでしょう。

画像右上:足場が組まれた国会議事堂
画像左上:黒ずんだ建築物
画像右下:修繕工事のために組まれた足場
画像左下:水圧で壁の汚れを取る作業員

【短信】此処のところ夏とは思えないような天気が続き、大雨が降ることもしばしばあり地方では洪水の被害が報告されています。夏に一番の賑わいを見せるバラトン湖でも天候不順のため客足が伸びなかったようで、観光業に従事する者からは溜息が漏れています。(8/24)


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