■グラシャム宮殿ついにオープン 2004.11.1 update

旧ソ連軍の支配下に入った第二次世界大戦後から20世紀終焉まで鉄のカーテンの向こう側に潜んでいたブダペストの街並みは、ガイドブックからだけでは知ることのできない神秘性を含んでいました。ハプスブルグ二重帝国も末期に近づいた19世紀後半、ブダペストは建国記念1000年に向けて都市建設ラッシュに沸き、ハンガリアン・ドリームを夢見てヨーロッパ中から一山当てようと多くの人々がやって来ました。

ゴシック様式、ネオ・クラシック様式などの建物が並ぶアンドラーシ通りは、ユネスコ遺産にも登録されています。残念ながら共産主義時代にこれらの多くの由緒ある建築物は排ガスで表面が煤け、修復の手はほどこされず、石造りの壁は崩れ落ちんばかりです。しかし、通りに面するバルコニーを支える精巧な彫刻や重厚な門構えが来客者を迎えるこれら傑作を、観光立国を目指す政府が放置しておくはずがありません。共産時代に手入れをされず、事務所や住居という目的にのみ機能してきた歴史的建造物のほころびが、1989年に体制が崩壊してから徐々に繕われてきました。

19世紀に多くの外国資本がハンガリーに流入したように、再び外資がブダペストへと流れ込んでいます。その代表例が今年6月に開店したばかりのカナダ系ホテル、フォーシーズンス「グラシャム宮殿」。19世紀、英国保険会社グラシャムによって、海外営業本部の事務所、またブダペストに住居を構えるイギリス貴族のために、1906年にアールヌーボー様式で建てられました。ドナウ川を最も美しく演出する鎖橋は、目の前に鎮座するグラシャム宮殿の歴史を静かに見守ってきました。

20世紀初頭にブダペストのランドマークという名をほしいままにしたグラシャム宮殿は、第二次大戦後に一時的に英米の外交兼軍の事務所に使用され、その後ハンガリー共産党政府の所有となり、一般居住用のアパートに分譲されました。減価償却の概念の無い共産主義時代、どんなに損傷しても修繕されず、歩道を歩いていると建物正面上部からジョルナイ焼きの瓦が落ちてきたそうです。

1989年、体制が崩壊し国営から行政地区の所有に移行されても、状況は何も変わりませんでした。1956年のハンガリー動乱時にカナダのトロントに国外逃亡したフェイエール・ベーラが、5年前1920万ドルで宮殿を購入、1億ドルをかけて修復、5つ星ホテルとして不死鳥のごとく見事に蘇らせました。元々の建物の持つ精巧な美しさを再現したかったフェイエールの目の前に立ちはだかったハードルは非常に高く、数々の試練が待ち受けていました。歴史的建築物のため、多くの条件と支払い能力が要求された修復作業。旧体制が染み付いているため、遅々として進まない役所での手続き。特に外国資本の再開発に対する地元民の反発。着工から3年以上かかり、ようやくオープンにこぎつけました。

9月には、聖イシュトバーン大聖堂でハンガリー人と式を挙げた、女優ソフィア・ローレンの子息の結婚式招待客も、早速グラシャム宮殿に宿泊しました。外貨流入に反発心を抱くハンガリー人の心が、華やかな歴史の再現を目の当たりにして和らぐのには時間がかからなかったようです。「宮殿」のオープンを待ち焦がれていた外国人観光客や地元民が、早速レストランやカフェへ押しかけている様子は、生まれ変わったグラシャム宮殿の輝かしい時代の新しいスタートを感じさせます。

画像上:鎖橋からグラシャム宮殿を望む
画像下:グラシャム宮殿近影

【短信】此方は先週までは秋雨が降り続き、日中でも7、8℃程度までしか気温が上がりませんでしたが、ここ数日漸く青空に見舞われるようになりました。少々気温が上がったものの、街では焼き栗を売る姿が見られるようになり、冬の到来が近いことを感じます。(10/20)


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