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「暑さ寒さも彼岸まで」。日本では彼岸を境に暑さや寒さが和らぎますが、ハンガリーでは8月20日の建国記念日を境に、釜戸の底ように暑かった大地の表面を秋の風が吹きはじめます。ところが、今年は野菜や果物の出来に影響がでるほどの冷夏がヨーロッパを襲い、ハンガリー人は夏の日差しを余り満喫できなったようです。それでもイベント盛りだくさんの8月20日には、太陽が祝日を祝うかのように雲から顔を出しました。午前9時過ぎには現メジェッシ・ペーテール首相(党内の政争に破れ、近々その座を退くことになった)が、国会議事堂前で祝辞を述べ始めました。3月15日の独立記念日や10月23日の共和国記念日と同様に、来賓と共に騎馬隊も勢揃い。
建国記念日の8月20日は、「聖イシュトヴァーンの日」とも呼ばれています。15世紀に活躍したハンガリー歴代の王・マーチャーシュと並び、未だにハンガリー国民に愛されている初代国王。紀元1000年にキリスト教を国教とすることで、異教徒の集団であったマジャール人をまとめあげました。彼の死後45年経った1083年の8月20日に、ローマ法王グレゴリー7世によって聖人に列せられました。
当時彼の遺体は、ブダペストより60km離れているセーケシュフェヘールヴァールという街に埋葬されていました。儀式のために王の棺を開けてみると、彼の右手が崩れ落ちずにミイラ状に残っていたのです。遺体から切り離されてブダペストに運ばれた王の右手。当時の領土争いから起こる数々の戦争から避難するため、13世紀にドゥブロブニクの教会に匿われたり、18世紀にマリアテレジアによってシェーンブルンに保護されたり、第二次世界大戦中にはザルツブルグに運ばれたりと、長い間、歴史の空間を彷徨いました。大戦後にようやくブダペストの王宮に戻り、現在は聖イシュトヴァーン大聖堂に落ち着いています。8月20日には聖体顕示箱と共に、大聖堂前からパレードが行われます。
共産主義が旧ソ連によって導入された第二次大戦後、宗教信仰が制限されたために8月20日は聖イシュトバーンの日ではなくなり、「建国記念日」となりました。1989年に共産主義が崩壊、翌年の90年には早速名誉あるイシュトヴァーンの名を取り戻しました。
国会議事堂前や大聖堂前で静粛な気分に浸った後には、ブダの丘で開催されている民俗芸術フェスティバルを楽しむのもよいでしょう。今年は祝日と週末あわせて4日間を通して行われました。木彫りや刺繍などの民俗工芸を売り子が出店で紹介し、特別に設置された舞台でハンガリーや世界各国の民俗舞踊が披露されます。年々、大規模な催し物となってきました。
年々祝日に併せてイベントや出店が増してきましたが、ハイライトは夜9時から始まる恒例のドナウ川沿いの花火大会。鎖橋を中心に、ゲッレールトの丘やエルジェーベト橋から30分に渡り打ち上げられます。数年前には、貧相な色や形、バリエーションに日本の花火を恋しく想ったものですが、今では川沿いの通りから焼き鳥やビールを楽しめるようになり、肝心の花火の打ち上げ技術も向上し、十分に楽しめるようになりました。
今年も云われ通りに20日の翌日には強い風が吹き荒れ、一挙に秋の装いを見せ始めました。聖イシュトヴァーンもハンガリーの寒い冬に向けて、今頃タンスからコートを引っ張り出しているかもしれません。
画像上:ゲッレールトの丘周辺で打ち上げられる花火
画像中:国会議事堂前に集まった騎馬隊
画像下:聖イシュトヴァーンの右手が納められている聖体顕示箱
【短信】此方は朝晩15℃未満になるほど肌寒くなりましたが、秋らしい陽気の日中は一気に27、8℃くらいまで上がり、ある意味、日差しは夏より刺すように痛く感じます。
室伏選手の金メダルが確定したそうですが、変な意味でハンガリーがクローズアップされてしまいました。インターネットのアンケートでも、先にメダルを剥奪されたファゼカシュ選手共にドーピングをしていたと思う人は55パーセントに上りました。しかし、アヌシュ選手はあれだけ検査逃れをしていたにも拘らず、無実を信じた人が3割前後もいたことに少々驚きましたが・・(8/29)
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