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先日、エジプト本土とシナイ半島を結ぶ、「日本・エジプト友好橋」を渡ってきました。この橋は、2001年4月に完成、10月9日に開通式が行われたという新しい橋です。この開通式には、元首相の橋本龍太郎氏も参加されました。この橋は「ムバラク平和橋」というのが正式名です。
なぜこのような名前がつけられたかというと、橋というのは戦争が起こると標的になりやすい。にもかかわらずこの橋を作ったのは、エジプトは決して戦争は起こさないという平和の証としたかったからだそうです。また別名の「日本・エジプト友好橋」というのは日本とエジプトが一緒に作ったということで、このように呼ばれるようになりました。
シナイ半島では、2017年を目標に、開発計画が行われています。農地、緑地化計画、紅海リゾート地開発、資源開発などですが、これが成功すると2017年には、320万人もの人がシナイ半島に移り住み、本土と往来することになり、現在の2倍強の交通量になる見通しです。この橋が架けられるまでは、アハマド・ハムディトンネルというトンネルと、フェリーによって人々は往来していました。しかしそれだけでは、この2倍の交通量は裁けないということで、橋が作られたのです。
総額220億円のうち、日本のODAによって、約6割の130億円が無償で援助されました。工事を請け負ったのは、鹿島建設、NKK、新日本製鐵の3社でした。この橋は高さが70メートルあり(横浜ベイブリッジは55メートル)、世界一橋桁が高く、クイーンエリザベス二世号やアメリカの空母なんかも通れるそうです。一番むずかしい箇所を日本の最新技術で建設されたということです。
そして、橋には、日本の国旗とエジプトの国旗が描かれた看板が掲げられています。橋を通ると見ることができますが、外側の真ん中に両国旗が握手している看板がかけてあって、これはこの橋がかかっているスエズ運河を船で通らないと見ることができません。実はこのスエズ運河にも日本の技術が使われたのです。スエズ運河は1869年、フランス人のフェルディナンド・レセップスによって作られました。そしてそれから約100年後、拡張工事を日本の五洋建設(当時、水野組)が、請け負ったのです。長さ160kmを190kmに、水面幅60〜100mを160m〜200mにする工事で、日本の技術が使われたのです。
この運河沿いに車で走っていると、とても不思議な景色に出会えます。大きな客船やタンカーが、まるで畑の中を航行しているように見えます。先日日本から来た豪華客船が2隻、このスエズ運河を航行しました。飛鳥IIとにっぽん丸という豪華客船です。この船に乗ってた方のお話によると、運河航行中、日本の援助で作られたこの橋の下を通る時、みんなでデッキに出て感動を分かち合ったということです。
日本の技術はこの他にもいろいろな場所で活躍しています。ナイル川クルーズをしていると、所々でエジプトと日本の国旗の看板を見かけます。アブシンベルに近いトシュカという場所では、農地化計画が行われており、ナイル川の水をポンプでくみ上げて、その水を使って農業を行えるようにするというものですが、これも日本の技術が使われています。
また、先日ルクソール西岸の王家の谷にビジターセンターができましたが、これを作ったのも日本です。アスワンハイダムのところの水産加工場、カイロのオペラハウスなどもあります。このようにエジプトのいろんな場所で、日本がかかわって作ったものをみることができるのです。エジプト人は日本に対して、とても友好的です。タクシーに乗ると、よく何人かと聞かれ、日本人だというと「ヤバーン、クワイエス(日本はいい)」と言ってくれます。それもこういった技術援助がエジプト人によい印象をあたえているのでしょう。
画像上:平和橋からの景色
画像中:運河沿いの都市イスマレイヤのホテルの庭より運河内の湖・チムサ湖の眺め。
画像下:スエズ運河の地中海側の都市、ポートサイードの町並み
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