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先日、カトリック教のヨハネ・パウロ2世がお亡くなりになり、世界中の人々がその死を悲しんだわけですが、ここエジプトではどうだったかというと・・・もちろんニュースでは大きく報道されましたが、それほど大騒ぎにはなりませんでした。というのはほとんどの人がイスラム教徒であり、1割弱いるキリスト教徒は、カトリック教徒ではなくてコプト教徒で宗派が違うからです。
ところで、エジプトというとイスラム教しかイメージにない方も多いと思いますが、実はキリスト教とも深いつながりがあります。旧約聖書に記されている、モーゼの出エジプト記は、シナイ半島が舞台となっていますし、聖家族のエジプト逃避のお話もあります。これは、イエス・キリストが生まれて間もない頃、ヘロデ王による幼子大虐殺を逃れて、母マリアと父ヨセフと共にエジプトに逃れ隠れ住んでいたというもので、その隠れ家の上に建てられたという教会も残っています。
そして、紀元60年、福音書を記した聖マルコがキリスト教を布教して以来、この地にキリスト教の時代が訪れました。451年のカルケドンの宗教会議で、キリストの両性論(人性/神性)を唱えたローマに対し、単性論を唱えたエジプトのキリスト教は異端とされ、コプト教という宗派として独自の道を歩むことになります。
コプト教の特徴をあげてみますと・・・コプト教の祭礼では、コプト語という言語を使います。これは、古代エジプト語とギリシャ語が融合したものです。しかし日常では、コプト教徒もアラビア語を話します。そして年間合計250日を越える断食を行います。この断食は、一定の期間、肉や魚、動物性の脂(バターや牛乳など)を口にしないといったものが主です。またコプト教徒は離婚が許されていません。離婚が許されるのは、夫がイスラム教に改宗して、他の女性と結婚したとき、二重婚をした時だということです。
またコプト教では、イスラム教同様、独自の暦をもっています。ローマ皇帝ディオクレティアヌス帝が、キリスト教徒の大虐殺を行い70万人の人々が亡くなったと言われています。そのことを忘れないようにということで、ディオクレティアヌス帝が帝位についた西暦284年を元年としています。そして、かつてナイル川の氾濫が起こっていた頃、その頂点に達する時期、9月11日が新年となっていて、クリスマスも12月25日ではなく、1月7日です。
その暦は1ヶ月が30日で、それが12ヶ月、加えて5日間だけの月(うるう年は6日)が1ヶ月あり計13ヶ月。そして、それぞれに古代エジプトの神様の名前がつけられているんです。実はこのコプト暦、古代エジプトの暦からきてるのです。古代エジプトで使っていた暦がどういったものかというと、1週間は10日それが3週間あり、つまり1ヶ月は30日。そしてそれが12ヶ月あり、あとの5日はそれぞれ神様に捧げた日となっていました。大変よく似ていますよね。
コプト教の礼拝では、サンダルウッドや乳香などの御香がたかれ、みんな立ったまま礼拝をします。そして、パイプオルガンなどの楽器は使われず、拍子をとるためのトライアングルやタンバリンが使われるだけです。これは、古代エジプトにおける礼拝と同じだということです。コプトの聖歌に関しては、口伝えで伝わってきたので、当初のものとは変わってきているということですが、聖歌の楽譜を書いたパピルスも見つかっているので、これから研究がすすめられていくでしょう。
イスラム教徒が9割を占めるエジプトにおいてイスラム教徒とコプト教徒の関係はというと、表面上は共存している形となってはいますが、やはりお互い快くは思っていないようです。コプト教徒は出世しにくいなどの制約がありますが、全体的に教育水準が高く、学識者が多いとのことです。カイロの町において、コプト教の教会はオールドカイロにたくさん集まっていて観光客がたくさん訪れる場所となっています。
画像上:ローマ時代の遺跡の上に建っている聖ムアラッカ教会(別名:ハンギング教会)
画像中:オールドカイロの情緒ある路地
画像下:イエス・キリストが幼子のときに地下に隠れ住んでいたといわれる聖セルギウス教会(別名:アブサルガ教会)
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