■銃社会トルコの苦悩(2) 2005.10.17 update

前回お話したように、1986年での銃火器法の改定によって、個人の銃所持が簡単になってから、2000年までの14年のあいだに、トルコ国内での個人の軽銃所持数は、なんとトルコ軍のそれの二倍にまでなってしまいました。さらに、前回述べたような事故が多発したために、国内では個人での銃所持に対する反対運動が盛り上がりつつあります。このような動きの中で、政府も法の改定に乗り出しました。

まず1990年に、銃を持って入るのを禁止する場所が法に明記されました。これには、法廷、病院の精神科棟、刑務所、学生寮などが挙げられていますが、銃を使った犯罪や事故が多く発生しているバーや結婚式場は含まれていません。さらに2000年の改定では、まず1年以上の留置経験があるものの銃所持を禁止しました。この中には1年以上の刑が確定した元・現国会議員の銃所持も禁止するものも含まれていました。しかし、昨年、国会はこの法の取りやめを採決しました。

このような試行錯誤が続く中、今年に入って二人の国会議員が銃に関する事件でマスコミに取り上げられ、銃火器法は再び世論の中央に躍り出たのです。ひとつは、現在第一党であるAK党の国会議員二人が、オルドゥ県で行われた結婚式で、銃を空に向けて撃った映像がマスコミに流れたというものです。本人は、「アンカラやイスタンブルの大都会で撃っているわけではなし、これは伝統だ」と弁明していましたが、銃所持規制に向けて世論が動く中、やはり批判は避けられなかったようです。

もうひとつは反対に、国会議員がこのような事件の被害者になってしまったというものです。先の事件と同じ第一党の議員、ファールク・コジャ氏が、知人の婚約式に出席したところ、祝いのために打たれた銃の弾が彼の耳の横を掠めたために、聴力が下がってしまったという事件です。このような事件は数えられないほど起きているはずですが、被害者が議員ということで大きく報道されました。

これらの事件の中、野党であるCH党の議員が、友人の娘が銃の事故でなくなったのをきっかけに、国会に銃を返還する運動を始めました。法が改正されない限り大きな前進は望めないというのは運動家の意見ですが、それでもこのような動きが出てきたこと事態は喜ばしいことだと思います。

一般の人々のあいだでも、少しずつこの動きは起きています。9月1日に結婚する予定の、ウルファ県のナイミ部族リーダーの跡取りユヌスさんの結婚式招待状に、”銃の持ち込みはご遠慮ください”という注意書きがあり話題になりました。地方の部族の結婚式は大掛かりなもので、銃を空に撃つ祝い方も伝統として必ずあるので、この招待文は画期的だったといえるでしょう。ユヌスさんはさらに、銃を持ってきてしまった招待客のために会場入り口に金庫を設け、そこに銃を預けてもらうことによって、結婚式での銃の事故を未然に防ぐつもりだと語りました。

残念なことに、銃に関するニュースは毎日新聞やニュースを賑わしています。トルコではフィクションの世界、テレビドラマにも銃は欠かせないものです。本物の銃を一生に一度も見ないまま過ごす可能性が高い国、日本から来た私にとってすら、この7年のあいだに、すでに銃は「特別なもの」ではなくなってしまいました。マフィア・ドラマでない、普通の学園ドラマや恋愛ドラマで無造作に拳銃が描写されていることにも驚かなくなり、道ですれ違う人が銃を携帯しているかもしれないということすら、普通に受け止めるようになってしまいました。

もちろん、治安維持のために警察や軍隊に銃は必要なものなのかもしれません。でも現行の法で拳銃は、大雑把に言ってしまえば「欲しければ誰でも所持できる」物となってしまっているのです。精神科医で5分の面接で取れる診断書と、警察署から罰則を受けたことがないという証明書を手に入れれば、知事はその人に銃所持免許を与えることができるのです。

EU加盟候補として本格的に動き出す今、トルコ政府は、人権問題を筆頭に、山積する課題に取り組み始めています。近いうち、この銃の個人の所持とそれに関する法整備の甘さも議論の対象となるでしょう。もちろんこの議論の過程で、これまでもあったように、保身目的で銃を所持したい人たちの反対もあるでしょうし、なかなか進まないかもしれません。さらにこれとは別に、無許可の銃所持や銃の密売買の取り締まりも大きな課題として政府に残されています。

トルコでの銃規制への道のりは、かなり長く険しいものとなりそうです。けれども、トルコに住む一個人として、どこから来たのかわからない銃弾によって倒れる可能性が自分にもあることを考えるにつけ、一刻も早い銃所持の規制と、それを実行するための法の整備を願うのです。

画像:イスタンブルの夕日


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