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今日の主要新聞のうちの何紙かに、同じ記事を見つけました。「ミス・ワールドのインターネット投票、本日午後3時まで! みんなでミス・トルコをミス・ワールドにしよう!!」という見出しとともに、投票できるサイトのURLと本選に出場中のミス・トルコの写真が載っていました。雑誌ならともかく、普通の毎日発行の新聞にこういう記事が載ってしまうところが、いかにもトルコらしいなあ、とちょっとほほえましく思いました。
見ていると、新聞やテレビの夕方のメインニュースなどでも”世界に認められた”トルコ人のニュースは頻繁に流れます。そしてインタビューを受けたトルコ人も、「トルコ人であることに誇りを持っています」と答えるのが定番です。トルコの人は、とにかく世界に名をとどろかすことが大好きなようです。これがコンプレックスの裏返しに見えてしまうのは、私が自分の成功を自らあちらこちらに語ることを品がよくないとする、日本の文化で育ったからでしょうか。
ことが大げさになると、トルコ人の名前を持つ人の成功までもが大きく取りざたされます。たとえば、トルコのとある団体が陸上の才能のある少女をエチオピアで見いだしてトルコ国籍を取得させ、育成して世界陸上に出場するまでになりました。彼女がメダルを取ったレースのニュースの見出しは「ゴールテープを切るとき、私はトルコ人であると心の中で感じていました」というものでした。また、トルコ語がほとんど出来ない、ドイツでの移民二世である映画監督が昨年の金の熊賞を取った際には、「トルコ人監督の栄誉」と書かれ、その映画での主演女優のこれまた移民の子供である女優さんは、本人が「私はドイツ人」といっているにもかかわらず「トルコの女優」です。
ほかにも、昨年のミス・ワールドの女性はオランダ出身です。ミスに選ばれた後、初めてトルコで生活を始めた人で、現在トルコ語の取得中ですが、彼女もトルコ代表として本選出場の後ミスに選ばれたこともあり、大変な人気です。先日は、トルコ人モデルの方がハリウッド俳優にインタビューをした際に「世界でもこんな美しい人はまれだ」といわれたとのことが、一週間近くも話題になっていました。
日本関連では、サッカー選手のイルハン・マンスズに日本女性のすべてが熱烈なコールを送っている、という記事が一時期多く載っていました。そのころは、日本人である私に、「すべての日本女性がイルハン選手のファンということで…」という前提のインタビューも多く、少し困ったのを覚えています。また、トルコでの常識として、日本のとある会合でコンサートをしたバルシュ・マンチョという歌手が「日本の首相にコンサートをし、日本人なら誰でも知っている超人気歌手」ということになっていて、そのことに関する質問は、それを無邪気に信じるトルコの人を傷つけるのも申し訳なく、いまだに私にとってちょっと困ったことです。
この例から分かるように、自国民が他国で認められるということに大変誇りを持つ人たちであるので、私のトルコでの活動が日本で報道されていないということにも大変驚いていました。どんな小さな成功でも、トルコ人なら大きく報道されるからです。
このようなトルコの人たちの傾向は、特にマスコミの傾向ですが、「国をひとつにまとめる」というアタテュルク以来の悲願をトルコ国旗の下にしようというものの有効な作戦であるような気がします。黒海に住む人、クルドの人、アルメニア系移民、その他いろいろな人たちがトルコ共和国の国土の中で住む中で、バラバラにならないようにするための強固な絆、それが「トルコ国民であること」なのでしょう。
建国の父であるアタテュルクも、「トルコに住む人はみなトルコ人」、「われをトルコ人といえるものは幸せ哉」という言葉を残しています。マスコミの熱の入れように時々苦笑いしてしまう私ですが、ストレートで熱いトルコ人の気質が伝わってくるようで、ほほえましくもあります。逆に少しでもトルコを貶めたり、トルコ人を悪いイメージで紹介しようものなら、他国人トルコ人問わずものすごいマスコミの集中砲火にさらされます。
古いところでは、映画「ミッドナイト・エクスプレス」(1978年/米国)が悪の権化のように言われていましたが、最近ではスティーブン・セガール主演の映画の悪役がトルコ人テロリスト集団で、銃撃戦シーンでトルコ国旗が後ろに映っているということが、いっせいに非難する形で報道されました。アクション映画のテレビ放送が盛んな国ですが、気がつくとスティーブン・セガール主演の映画の放送は最近見ていません。
EU加盟を目指して政府がたくさんの政策を打ち出し、国民が、分かる人も分からない人もこぞって「EU加盟っていうのはなにやらいいことらしい」というムードの今、どんな分野であれトルコ国民が他国に認められることはとても重要なのです。「俺たちだってこんなにすごいんだぞ」という彼らの叫びは、大きくなればなるほどちょっと悲しみを誘うものであることもありますが、実際に大きな成功をおさめている人も多くいます。「あとはこれを謙虚に報道するようになれば、もっと価値が上がるのに」と思うのは、日本人である私の身勝手なのかもしれませんね。
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