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前回お話したように、仲良しの友人の結婚式に参加した私は、日本とは違ったさまざまな習慣を見る機会を得ることが出来ました。イスラム教徒が国民の9割以上を占めるトルコですが、結婚はお役所の仕事です。宗教婚というものももちろん存在しますが、それは法的効力を持たないものとされています。しかし宗教婚に重きを置く人たちが居るのも事実で、普通の婚姻とともにこの宗教婚をする人たちも少なくないようです。
トルコでは政教分離を推進している真最中なので、たとえば教員や、議員などの公的な立場の人がスカーフで髪の毛を覆うことは禁止されています。大学入試の際の全国一斉試験の受験票にすら、スカーフをかぶった写真が認められていないほどです。
ですので宗教婚も、一応禁止ということになっています。宗教婚をしたとされる芸能人が警察に呼ばれて事情聴取を受けたというニュースもしばしば流れます。そのように禁止されているにもかかわらず、なおこの宗教婚をする人があとを立たないのには、いくつかの理由があるようです。純粋に信仰に基づいて、婚姻とともに宗教婚もあげてはじめて安心するという人。法的な婚姻年齢に達していないために両家が約束の代わりにまず宗教婚をあげさせておくという場合。親が望むからととりあえず形だけ行う人。また、宗教婚を既成事実として利用するパターンで、両親に結婚を反対されたカップルが宗教婚を挙げてしまって、信心深い両親に対して既成事実にしてしまうというものもあるようです。中には外国籍である浮気相手を信用させるために、いかにも正式な婚姻に見せて宗教婚をあげるのを繰り返すという、とんでもない人もいます。
私の友人はこの宗教婚はなしで、お役所での婚姻式と披露宴というものでした。日本で参加した結婚式とほぼ同じで、昼間の誓いの儀式が終わったあと、海の見えるレストランに移動して、招待客はお料理を食べながら談笑、後に新郎新婦が花火とともに入場して各テーブルを回るというものでした。日本の結婚式と一番大きく違うのが、ご祝儀はテーブルに回ってきた新郎新婦に直接金やお金を貼り付けるということと、親族・友人・新郎・新婦入り乱れて踊りまくること、スピーチや花束贈呈がないことぐらいでしょうか。そのほかは、久しぶりに再会した旧友や親戚との会話を楽しむ人々の姿や、幸せそうな花嫁花婿の姿などは、お国は違えどどこも一緒だな、という感じでした。
私は新婦の友人、ただし親戚のテーブルということで、進行具合を逐一チェックしてはいらいらしている新婦の弟たちや、ご両親の気遣い、果ては披露宴終了後のお会計にまでお付き合いしました。なんと披露宴の費用は、半分先払いして、残りは式当日、終了後に払うということにしたのだそうです。幸せ絶頂であるはずの新婚夫婦が、ぐったりとテーブルに座ったまま、お客さんのみんなが楽しんで行ったか、誰が何を言っていたか、誰がどの金細工、お金をつけていったか、を家族と話す姿には驚きました。関係ない人たちからのお祝儀要求の嵐に耐えなければならないことといい、披露宴後のこのぐったり状態といい、トルコで結婚式、披露宴をするのには相当の体力と精神力が必要なようです。
おめでとう、というよりも、思わず「お疲れ様」と声をかけてしまった私に、妻となった友人は「あなたにもこの幸せが訪れますように」といって履いていた靴を裏返して見せました。靴の裏には、私の名前が書いてあったのです。それが消えるとお嫁にいけるのよ、と彼女が式の前に私の名前を書いていたことを思い出しました。しかも早く消えるように、ちょっとずるをして鉛筆で書いてくれたそうです。トルコでは、花嫁のはいた靴の裏に、お嫁に行きたい人が名前を書いてもらい、式のあとで消えるとお嫁にいけるというジンクスがあるそうです。弟さんの同僚から電話で注文まで来ていたからには、かなり有名なものなのでしょう。もちろん私も含め、そこに書かれたすべての名前が消えていました。
友人の幸せそうな笑顔は本当に素敵だったけれど、こんなに疲れるのだったら私はトルコでは結婚式はあげられそうもないなあ、と、文字の擦れたあとがある靴底を見ながら思いました。
画像上:披露宴で踊る新婦
画像下:靴の裏に鉛筆で書かれた名前
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