■トルコに住む親戚・タタール人 2004.4.19 update

日本のJリーグ、神戸ヴィッセルに移籍したトルコ代表チームの選手イルハン・マンスズに関する取材のお手伝いをしました。イルハン選手のルーツをたどるという趣向だそうで、お父様の出身地であり、イルハン選手本人も幼いころの4年間を過ごしたという、エスキシェヒル市ハミディエ村を取材班と一緒に訪れることになりました。

エスキシェヒル市はタタール系の人が多く住むことで有名で、特に今回訪れたハミディエ村は、村民の90%以上がタタール系だそうです。イスタンブルにいても、私がトルコ語を話していると、「タタール人か?」と聞かれることがよくあります。歴史の中でいろいろな民族が混じったトルコ人の顔はさまざまで、特にこのタタールと呼ばれる人々は東洋系の切れ長の目が特徴です。

タタール族の祖先は、唐代に中国北方の突厥国の「韃靼」(蒙古族)部落から各地に移住したといわれています。村で「先生」と皆から呼ばれていた、元小学校の先生であるラフミ氏のお話では、現在の中国やトルコなどの中央アジアにいる人々だけでなく、アメリカインディアンやエスキモーなどもタタール人の末裔なのだそうです。タタール人たちが使う言葉と、アメリカインディアンが使う言葉の中に500近い共通の単語があることや、脱穀の形式や炬燵(こたつ)を使うなどの生活習慣に似通ったものが残っていることなどが、その説の理由だそうです。もちろんハミディエ村の人々も現在はトルコ語を話していますが、お年寄りやお互いの間ではタタール語を使うこともあるそうです。

このタタール語というのはアルタイ語系、チュルク語派、フンド語分支に属します。トルコ語もウラル・アルタイ語系ですし、日本語もそうです。このラフミ氏をはじめとした村の人々が日本人である私たちをものすごく歓待してくれたのも、こういったことと無関係ではないのかもしれません。実際、村で出会ったお年寄りの顔には、日本のお年寄りのそれを髣髴(ほうふつ)させるものがありました。女性に聞いたところ赤ちゃんに「蒙古斑」は出ないそうですが、遠い親戚よ、と呼びかける言葉も信憑性を持って耳に届くような顔立ちの人もたくさんいました。イルハン選手のご両親もタタール系だそうで、その息子である彼の顔立ちに日本のサッカーファンが親しみを持ったのもわかるような気がします。人口300人強のこの小さな村から、遠く日本でプレーする選手が育ったということに不思議な感慨を覚えました。

今回の取材をきっかけにして、タタール族についてちょっと調べてみました。タタール(韃靼)の文字は、8世紀前半に建てられた突厥(とっくつ、とっけつ)碑文に初めて現れています。中国人はモンゴル東部のモンゴル系遊牧集団を韃靼人とよんでいました。840年ウイグルが滅亡した後、勢力争いに加わったタタール部は、10世紀初め契丹族が興り遼を建国して、 その勢力をモンゴルに広げるとその支配下に入ります。その後、12世紀初め中国北部では遼に代わって金が建国され、12世紀末、モンゴル部にチンギス・ハンが現れて、モンゴル部を再統一した際に、タタール部は戦いに敗れその支配下に入りました。

こういった経過で組み入れられた韃靼人を含むモンゴル帝国は、13世紀に西へ征伐に赴きます。西アジアやヨーロッパの人たちは タタールとギリシア語のタルタロスtartaros(地獄)とをかけて、モンゴルをタルタル Tartar と呼ぶようになったそうです。そして、13世紀にモンゴル世界帝国が成立したころからモンゴル人だけでなく、その支配下のユーラシアのトルコ系諸族全体をあわせてタタールまたはタタール・モンゴルと俗称するようになったそうです。ロシアでは、北東モンゴルなどにいたモンゴル系遊牧民の北方グループをタタールと呼んでいましたが、のちにモンゴル高原に入ったトルコ系諸族をも含む遊牧騎馬民族を総称して使うようになったそうです。

2年前に私にある歴史もののテレビドラマで「タタール人」の役が回ってきたことがありました。トルコで役者として活動している限りこの容姿から日本人、中国人の役が来るのは普通ですが、タタール人の役というのは面白そうだな、と思ったのを覚えています。いろいろな都合で実現はしませんでしたが、トルコでいつかまたこういう機会があったらぜひやってみたいと思っています。私の中にもタタールの血が流れているかもしれない、と思うと、なんだかとても親しみが沸いてくるのです。

画像右上:ハミディエ村全景
画像左上、右下、左下:タタール系のトルコ人たち


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