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3月8日は「世界女性の日」だそうです。それに向けてここ何週間か、女性問題や各界で活躍する女性がテレビや新聞に取り上げられていますが、今年は特に、2月の末に起こった悲しい事件に関するもので埋め尽くされています。この事件はトルコの各新聞の一面見出しとなり、10日が過ぎた今も後追いニュースが毎日報道されています。
東南トルコ・ヴァン湖に近い町ビトゥリスの村に住む女性が、いとこに暴行されて妊娠してしまったことから事件は始まりました。そのいとこの二番目の妻になること(トルコでは法律上ひとり以上の配偶者を持つことはできません)を拒否した彼女は、生まれたばかりの男の子を連れてイスタンブルに逃げ、知人のもとに身を寄せます。彼女が逃げたことを知った家族とその村の男たちは会議を開き、彼女が道徳を汚したという理由で、その汚された道徳を『清める』ことに決します。そして彼女を追って来た実の兄弟二人の銃弾を受けて、彼女は大怪我をします。しかも、警察にも保護を求め、病院に事情を話していたにもかかわらず、彼女は入院先のベッドの上で、白昼何者かに銃撃されて亡くなってしまうのです。
病院にやってきて彼女を殺害した人物が誰かはまだ分かっていません。しかし解剖の結果出てきた銃弾の種類が、彼女を撃った兄弟のものと同じということで、現在彼らは指名手配中です。この事件が発覚して以来、病院の管理体制、警察の読みの甘さ、そして何よりもこの「道徳を守るための殺人」の是非が大きな議論の的となっています。
亡くなった彼女は戸籍すらなく、入院中にお見舞いに訪れた婦人団体の助けで、やっと身分証明書が作られた矢先の死でした。地方の村では、いまだに村の部族の掟が強く人々に浸透していて、特に女性の立場は低く、彼女のように出生届すらも出してもらえない例もあります。このような地域での「道徳」感は独特で、レイプなどで妊娠してしまった場合はその相手と結婚することで解決という見方をします。最近までは、法律でさえも、レイプ事件は犯人が被害者と結婚することで刑が軽減するというものがありました。この法律は結婚を望まない被害者の自殺の多発などによって議論の的となり、改正されました。また村の掟では、結婚が国の法律上不可能でも、事実上二番目三番目の妻となることで解決です。親の決めていない自由恋愛による妊娠などは、場合によっては死を意味します。
法治国家であるトルコですが、実際問題としては掟がすべてを決めている地域もまだまだあります。新聞のインタビューに答えたこの村の青年の、「イスタンブルで教育を受けようが、そこで弁護士になろうが政治家になろうが、この村に帰ってきたときには認めざるを得ない現実がある。もちろんそれが現実だと飲み下すのは難しいが、実際それはここにある。もし彼女が殺されなかったら、彼女の家族は恥ずかしくて道も歩けない。これもひとつの現実なのです」という言葉が、とても悲しいものに感じられました。同じ新聞の反対側のページには、セミヌードのモデルの写真が踊り、大都市の歓楽街を闊歩するおへそを露出した女性の写真が載っています。芸能人の華やかな恋愛模様が取りざたされる横で、今日も道徳を汚した罪で「清められた」女性の記事が載っています。
初めてトルコに来たころ、「人の目」や「世間の目」、「みっともない」という言葉が日常頻繁に使われていることに気づきました。世間の評判をとても気にすることは、日本と同じかそれ以上かもしれません。このように村の掟に縛られた地方の村ではない、都市部の一般の人を見ていても、女性の貞節にはうるさく、処女信仰も強いようです。女性の友人がよく冗談交じりに口にする言葉に、「女がやれば娼婦扱い、男がやったら英雄扱い」というものがあります。浮気に関しての言い回しなのですが、このような言葉からもトルコ人の平均的な道徳観がよく分かると思います。
EU加盟を目標としているトルコ政府は、近年、民法の改正に熱心です。しかし書類上の改正が進んでも、実際はこのような道徳を守るための殺人が絶えないことも事実です。政府は、「何事も教育から」をスローガンに、地方の女子の就学率や識字率を高めるべく努力しているといいます。しかし女性団体を中心とした人たちは、地方に女性が駆け込めることのできる施設を作る、交番が女性を保護できるようにするなどの現実的な対応と、そのための法律の一日も早い改正を、と叫んでいます。実際、政府の手になる法律改正は、長い時間といくつもの書類のサインをへてやっと一つが認められるという状態のようです。
実際、私がトルコで暮らしているなかでは、周囲の環境の影響が非常に大きいとは思うのですが、そのような女性差別にあったことは一度もありません。ただ、イスタンブルの中でも、地方から出てきた家族や、昔ながらの生活形態を守っている家庭の出身の女性は、どこか家族の持つ道徳観を壊すことを恐れているような様子が見受けられます。育ち方が比較的自由でも、嫁いだ相手の考え方によって、このような道徳観に縛られるようになって不満を漏らす女性の話も時折耳にします。
道徳観という言葉自体がすでに実感を伴って響くことのない日本の大都市で育った私には、正直に言うと、世間の目や村や家族の掟に縛られて生きるということへの実感があまりわきません。でも、ニュースや新聞でこのような事件を見るにつけ、一日も早く、トルコだけでなく、世界中の女性が思うように生きられるようになればよいと思うのです。
画像:イスタンブルの街並み
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