■トルコのテレビと宗教の関係(2) 2004.2.16 update

イスラームの二大行事である「犠牲祭」、今年は二月一日から四日まで行われます。それにあわせてテレビ画面の中も少しずつ犠牲祭の話題が増えてきました。

宗教色の強いテレビ局のために製作されている番組では、局の意向によっていくつかの表現が規制されているということを前回書きました。たとえば、私が今回参加した紀行番組では「神」「創造する」などの言葉が規制の対象になっていました。もちろんそれは局側の判断ですので私がどうこう言うことではないのですが、とにかくその単語を含む文章は何でもかんでも機械的に規制してしまう、ということも行われているようです。

わたしが番組で訪れた中央トルコのある町は、リディア人の王国が築かれていた場所で、多くの発掘品があることで有名です。この遺跡を築いた太古の人々の宗教観について、専門家である考古学博士のコメントがありました。そのコメントは、当時の人々が多神教であった、というものだったのですが、この「多神教」という言葉が引っかかって、その博士のコメントが大幅に編集されてしまったということがあったのです。

このような判断は、決して政府やRTUK(ラジオ・テレヴィジョン審議委員会のようなもので、国民に悪影響を与えるような性的表現や度を越した暴力表現を含む番組を放送した局に罰則を与えたり、放送を止める権利を持っています)の要請に基づいたものではなく、テレビ局個々の意向を反映したものです。よって、出演する側もそのあたりを踏まえて局を選ぶということは時々あるようです。また逆に、テレビ局側が出演者を選ぶ際にも、タレントさんや女優さんのイメージや傾向を見ながら選ぶということを行っているようです。視聴者参加の番組などでも、世俗的な傾向の強い局の番組では、視聴者席の前のほうにはスカーフをかぶった人をあまり配置しないなどの配慮が行われているようです。もちろん、宗教色の強いところではスカーフをかぶった女性も登場しますし、キャスターこそスカーフは無しですが、監督や現場の女性がスカーフ姿というのにはよく遭遇しました。

そういうことがあることはありますが、私の印象としてはトルコのテレビ局は全体的に自由な雰囲気です。また、最初来たころにとても興味深かったのは、現役の国会議員や大臣、また首相までがテレビの討論番組に出演して学生たちと激論を戦わせたり、各党党首がテレビで公開討論をしたり、視聴者の電話質問に答えたり、国民への影響力がとても大きいテレビの利用価値を政治家も大いに認識しているといった感じのところでした。もちろんここでも、宗教色の強いテレビ局ではそういう傾向の政党出身の政治家や宗教省の官僚たちの出演率が高いです。

また自然災害や大きな事故、人災などがあった際にはすぐに事件の起きた市の市長や知事、議員などが生放送に登場して、公的機関の対応の速さをアピールしたりするのがとても印象的です。そして一般市民もテレビの力を強く信じていて、人の多いところで自殺を試みてはカメラが来るまで待っていたり、国会議事堂の前でヌードになってカメラが来たら生活の窮状を訴えた女性もいました。ただ、要求や不満をメディアに訴える、もしくは有名になることが目的のことが多く、このような手段をとる人のなかで実際に自殺する人はほぼゼロに近いので、こういった人騒がせな事件にも困りものです。

トルコでは、特に大都市を除く地方での一番の娯楽はテレビであり、全国でのテレビ普及率もとても高いです。識字率の低い地域では唯一の情報源がラジオ・テレビであることもあり、この二つのメディアにとても重きが置かれています。日本に比べて局、ひいてはその局のオーナーの意思があからさまに反映されているのですが、外国人である私にとってはそれもまた面白く、テレビの中と外からトルコという国を覗くチャンスがあるのはとてもラッキーだと思っています。

これからもいろいろな局の、いろいろな人たちとお仕事をしていく中で、少しずつこのトルコという国が見えてくるのではないかと思っています。

画像上:夜のブルーモスク
画像下:トルコの無料デジタルテレビ局一覧


<<もどる