■トルコのテレビと宗教の関係(1) 2004.1.19 update

明けましておめでとうございます。トルコでは、昨年末のテロの影響で、イスタンブル中心部の新年のお祝いイヴェントが中止になるなどの影響を受けながらも、それぞれ楽しく新年を迎えた様子です。テレビの街頭インタビューで観た人々の年頭の祈りで、健康と並んで世界平和が圧倒的に多かったのも心に残りました。

昨年の12月から4回連続で、トルコのテレビ局で紀行番組のレポーターを務めることになりました。トルコは日本の大多数の人が思っているようなイスラーム国家ではなく政教分離国なので、テレビ局も民放各局個性が強く、バラエティやクイズ番組、恋愛ドラマやホームコメディが盛んに流れています。6年間のトルコでのお仕事生活の中で、初めてイスラーム系のテレビ局とレギュラーでお仕事をすることになりました。その中で感じたことを何回かに続けてちょっと書いてみようと思います。

トルコの民放の中で、イスラーム色の強いテレビ局はいくつかあって、これらの局では信仰に基づいた常識を前提とした放送がされています。もちろん政教分離国なのでスカーフをかぶった女性キャスターが出てくるということはありませんが(禁止です)、放送されているドラマの内容や、お料理番組のレシピに一切アルコールがないなど、ちょっとしたところに特色が出ています。見てわかる違いではないので、旅行者の方には区別が付かないかもしれません。私の出演する番組の放送局は、そういったイスラーム系の放送局の中でも最も世俗的とされているところで、夜のトークショウの司会者はデコルテ(胸の上部から鎖骨にかけての部分)の露出も激しく、ワイドショーやメロドラマなども盛んに流しているところです。現在第一政党のイスラーム主義政党AKP(公正進歩党)の影響を強く受けているといわれています。

そんなテレビ局向けの番組に日本人である私がレギュラー出演をするということで、実はちょっとためらうものがありました。日本人である私は、仏教徒ではありますが、一般の日本人の若い人たちの例に漏れず宗教的シンボルに対する考え方があいまいで、その局のワイドショーの方がインタビューにやってきたときに、友人にプレゼントされたクロスのネックレスを着けていたことがありました。それを贈ってくれたのもトルコ人の友人なら、周囲の人たちにそれを指摘されたことも一切なかった私なので、レポーターの方に「インタビューの最中だけその十字架をはずしてください」といわれたときにとてもびっくりしたのを覚えていたからです。

トルコで最も発達しているイスタンブルという都市の、芸能界という特殊な世界の中で、特に極度なイスラーム信仰を後進性のシンボルとして見ている人の多い環境の中で、トルコ国民の90%以上を占めるイスラーム信者の中にもさまざまな信仰の度合いを持った人がいるということを、鮮烈に思い出させられた出来事でした。この6年間、信仰やそれに伴う生活習慣や服装に関しては日本に居るときとほぼ同じような自由さで生活していた私にとって、そういう思い出のあるテレビ局と働くということは、なんだかいらない制約が多いような気がしたのです。

それでもトルコでも行ったことのない土地を巡ることができるということで、お仕事を引き受けることにして撮影はスタートしました。心配していたような厳しい規制もなく、ミニスカートやビキニ(温泉が有名な地域のレポートの際)も却って歓迎されるという風で、ちょっと拍子抜けがするほどでした。十字架などの他宗教のシンボルを身に着けないことと、「神」という単語を使用しないということ以外は、実にのびのびとお仕事をさせていただきました。

この「神」という単語ですが、日本で言うところの「神」を表す単語として、トルコでは「アッラー」と「神」の二つがあります。日本では「アッラーの神」という言い方をしますが、これは厳密には正しくなく、ムスリムにとって創造主とは「アッラー」なのです。キリスト教やその他イスラーム以外の信仰を持っている人の神は「神」、トルコ語で言う「TANRI」を使い、ムスリムの人にとっての神は「ALLAH」なのです。またもうひとつ、創造主はアッラーのみ、という考えに基づいているので、「創る」という単語も禁止でした。もちろんこれらの単語はほかの世俗的な局では何の問題もなく使われています。

この用語規制というのは、前後の文脈を考えない機械的なものになってしまうととても危険だと日本でも思っていた私ですが、やはりトルコでもある程度機械的に処理されている部分はあるようです。その用語規制と今回のお仕事で感じたことについて、長くなってしまうので次回に続けて書きたいと思います。

画像:トルコの新聞のテレビ番組紹介欄


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