■ギリシア人と迎える2004年 2004.1.19 update

12月31日、雨雲が残る暗い空の下、親友ニコスの家に行くために家を出たのは午後9時。午前中、雨が降っていたので寒いかな、と思っていたのですが、息が白くならないぐらいの気温で、全く寒くありませんでした。町は、家族や友人と共に新年を迎えるため出歩いている人達がたくさんいて、私もそんな中、久しぶりのスーツに慣れない革靴を履いて、電車に乗っていると、周りの人たちもいつもとは違う奇麗な服装で身を固め、手には甘いお菓子をお土産にぶら下げている人やら、子供のためのプレゼントで両手がふさがっているような人もいました。

ニコスとの待ち合わせの時間は10時だったのですが、結局5分遅れで待ち合わせのキフィシア駅に到着、そして駅で待っていたニコスに『ごめん、遅れた』と言うと、彼は『ギリシアじゃ5分は遅れたうちに入らないよ』と言って、車に乗せてくれました。そこから、15分走り、エカリ地区にある彼の家に到着すると彼の家族(子供3人の5人家族)が出迎えてくれました。その時はまだ他のお客は誰も到着していなく、『5分遅れ』の私が結局一番乗りということになり、ソファーに座りテレビを見ながら時間を過ごしていると、徐々に他のお客も到着して、ニコスの親戚4人、彼の弟トニ−の友達2人、計12人全員が揃ったのは11時でした。

それからみんなテーブルの方へ移動し、山のようなご馳走が準備されました。大晦日だけの特別料理というのは無かったのですが、緑黄色野菜の煮込み物だけは『これはお正月用の料理だよ』とニコスのお母さんがお皿を差し出してくれました。末っ子のペトロはちょっと辛いチーズソースを『これ好き?』と言って、妙に勧めてくれたので、それを食べ、『おいしいね』と言ってあげると、誇らしげに『これは僕が作るの手伝ったんだ』といって、他の人にも勧めはじめました。10歳の男の子の傑作料理はみんなに喜ばれました。

一通りご飯を食べ終わるとちょうど年が明ける5分前になり、みんな手にワインなどをもち、テレビに映るシンダグマ広場のイベントの映像を見ました。そして、アテネ市長ドラ・バコヤニのスピーチが完全に終わる前に、時計は12時を示し、1月1日を迎えました。年が明けるとみんなが席を立ち『新年おめでとう!』と言いながら、頬と頬を合わせて新年の挨拶をしました。12人みんなが頬と頬を合わせ終わるまでこの挨拶は続き、さすがにこの挨拶になれてない私は、ニコスの家族とだけはやったのですが、他の人とは簡単に握手だけで済ませ、日本人だからということで避けてしまいました。

テーブルを片付けた後、出てきたのがお正月のケーキ、『ヴァシローピタ』。これをニコスのお父さんが人数分に切って一つ一つみんなに回していくと、私の所にきたケーキを見て『ヒロキ、これはラッキーだ』と言って、ケーキの中の銀色の包み紙を指しました。そしてこれを開けてみると、中から1ユーロコインが出てきました。そうすると『すごい、今年はラッキーな年になるね』とニコスが言ってくれ、私自身、このヴァシローピタの習慣は知っていたのですが、ニコスのお父さんが『おめでとう』と言って私に50ユーロをくれた時にはさすがに初めてのことで驚いてしまいました。『幸運』と『お年玉』を同時に手に入れてしまい、なんか一人だけラッキーで悪いなと思ってしまいました。

その後もホームパーティーは続き、夜中の1時をすぎたあたりから、新たにニコスの友達や弟トニーの友達などが集まり、そこからは、大人組みと若者組みにわかれて、ダンスやトランプをして時間を過ごしました。結局、パーティーが終わったのは朝の7時。私はニコスの家に泊まることになり、ベッドに入った後はすぐに眠りについてしまいました。

暖かい冬の、暖かい家族のホームパーティーは、私にとって2004年という年の最初のすばらしい思い出になりました。

画像上:シンタグマ広場の年末年始の飾り
画像下:オモニア広場の年末年始の飾り


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