■レニングラード封鎖が解かれた日 2008.2.5 update

ロシアでは5月9日が、第二次世界大戦の戦勝記念日で、この日は国を挙げてお祝いしますが、ペテルブルグ市にとってもう一つ大切な日があります。それは、1月27日。レニングラード封鎖が解除された日です。

第二次世界大戦中、当時のレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)は、ナチスドイツ軍に包囲され、900日間(1941年9月〜1944年1月)、外から食料の供給が途絶えた状態が続きました。現在、市の南(当時の前線から約9km離れたところ)に900日間戦い抜いた市民の勇気の象徴として勝利の広場と、広場の地下6mのところにメモリアルミュージアムがあります。

勝利の広場から階段を下りていくと薄暗い独特な雰囲気の展示ホールがあります。ホールの壁の上方部に沿って照明が並んでいますが、これは76mm弾の薬きょうから作られていて、全部で900個あります(900日封鎖を表している)。これらの照明の下には、900日封鎖中に稼動していた市内工場の名前が刻まれています。

このミュージアムには、当時の生活を象徴するものが展示されている他、10分間のドキュメンタリー映画が上映されていて、当時の様子の一端を窺い知る事ができます。また、このホール内には、常時メトロノームの音が流れており、900日間の封鎖がいかに長くて辛いものだったかを物語っているように思えます。

広場からモスクワ大通りを通って市内に進むと右手に勝利の公園が見えてきます。この公園のある場所には、もともとレンガを焼く工場があったのですが、戦争中は亡くなった人々の死体を焼いていたそうです。戦後、市民の手によってこの場所に勝利の公園が造られました。

市の北のほうには、第二次世界大戦中に造られた共同墓地(ピスカリョフスコエ・メモリアル墓地)があり、28ヘクタールの敷地に約50万人の死者が葬られています。毎年、戦勝記念日やレニングラード封鎖が解除された日には、市長や市の役人が献花に訪れます。この墓地の正面には、「母‐祖国の像」が立っており、大抵この像の前に献花をします。この墓地の敷地内にもメモリアルミュージアムがあり、当時の様子を写した写真などが展示されています。

レニングラード封鎖中にレニングラードに住み、日記を綴っていた少女ターニャ・サビチェヴァの日記もここに展示されています。ターニャの日記の最後の2ページは、「みんな死んだ」「ターニャひとりが残った」で終わっています。結局、ターニャもこの戦争中に亡くなったようです。

1月27日に市民が献花に訪れる場所として、ネフスキー大通りに残された注意書きの前があります。この注意書きには、「砲撃時、通りのこちら側は特に危険です」と書かれているのですが、これも900日間の封鎖を耐えしのいだ市民の勇気の記憶として残されています。

画像上:勝利の広場メモリアルミュージアム内
画像中:ピスカリョフスコエ・メモリアル墓地の「母‐祖国の像」
画像下:ネフスキー大通りに残された注意書き


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