| ■昨日はレニングラード、今日はサンクト・ペテルブルグ |
2004.9.6 update |
|
生まれはサンクト・ペテルブルグ、小学校はペトログラード、レニングラードで働いて、死をサンクト・ペテルブルグでむかえる。こんな人もいるかもしれません。
サンクト・ペテルブルグは、20世紀に3回改名されました。サンクト・ペテルブルグは、ドイツ語で聖ペテロの町を意味します。最初に改名されたのは、第一次世界大戦中。帝政ロシアの敵は、ドイツ。ロシアの首都が、ドイツ語名ではおかしいということになり、ロシア語で同じ意味のペトログラードに改名されました。二度目に改名されたのは、レーニンの死後。レーニンの町を意味するレニングラードと名づけられました。三度目は、ソ連が崩壊してから、市民投票により元の名前サンクト・ペテルブルグへと戻されました。長い間レニングラードだったので、サンクト・ペテルブルグは知らないが、レニングラードなら知っているという方もいるかと思います。当地のバレー団や交響楽団が日本へ巡業に行く場合、いまだに広告にはロシア国立レニングラードバレーと、あえてレニングラードを使うこともあるようです。
日本では、市町村が合併でもしない限り都市の名前が変わることはめったにありませんが、ロシアではよくある事です。通りや広場の名前となると、さらによく変わります。大抵の場合、帝政時代の名前から、ソ連時代、ソ連崩壊後の名前と2、3回変わっています。同じソ連時代でも、スターリンの死後に名前が変わった通りや建物も少なからずあります。また、著名人が亡くなって、その人と縁のある場所(住んでいた通り)等の名前が変わることもあります。こう考えると、ロシアの郵便屋さんは大変ですよね。だから配達が遅いのかもしれません。地図や標識を作成している会社は、儲かるかもしれませんね。
昔、ソ連の宇宙飛行士が、宇宙ステーション“ミール”にいる間に祖国が崩壊して、帰ったらロシア連邦になっていたという話がありましたが、休暇から戻ったら自分の住んでいる町の名前が変わっていたなんて話はどこにでもありそうです。国の体制が変わることに比べたら、通りや町の名前が変わるくらいは、大した事ではないのかもしれません。国民は、意外と寛容です。
画像上:レーニン像。今は博物館となっている、旧バルチック艦隊の巡洋艦オーロラ号の前で。ちなみに、1917年のロシア革命(十月革命)は、この鑑から発射された空砲を合図にはじまった。
画像下:レーニン像、レストラン「ゾフ イリイッチ」のインテリア。
|