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バンクーバー島にあるシメイナスは、ビクトリアの北80km、ナナイモの南30kmに位置する人口4000人弱の小さな町だ。
1998年の5月に家族旅行でこの町を訪れた。「シメイナス」という名前の響きに妙に惹かれながら、町の中をドライブして、私たちは感嘆の声を上げ続けた。なぜなら、シメイナスの町全体が見事な「屋外アートギャラリー」だからだ。あちこちに姿を見せる壁画は、大きなものは長さ36m以上。高さは6−10m。壁画は全部で33を数える。
建物の横面すべてが壁画になっていたり、シメイナスの町の看板そのものが、木をレリーフした壁画だったり。しかも、モチーフは町の歴史がうかがえる興味深いものばかりだ。
シメイナスは1800年代から林業で栄えた町だった。そもそもの名前の由来はTsa-meeun-isというシャーマン(預言者)の名前からで、「傷ついた胸」という意味。胸の大怪我から快復し、有力なチーフになったインディアン(ファーストネーション)の部族たちが誇らしげに使ったことから、Chemainusという英語スペルになった。
1980年代になると木材の伐採業が下火になり、120年間も操業していた木工所が閉鎖され、700人が失業するという事態に陥った。町をなんとか復興させるため、地元のビジネスマン、カール・シュルツ氏が率先し、シメイナスの町の歴史を壁画で残して、それを観光に結びつけようとした。
1982年に「壁画フェスティバル」を開催し、まずは5つの壁画を完成させ、それ以来、地元の画家だけにとどまらず、カナダ全国、そしてアメリカからも画家を招聘して、現在33の壁画を青空の下でディスプレーする町となった。その中のひとつに日系カナダ人画家、スタン・タニザワ氏による「孤独なスカウト」という壁画がある。
1900年から1942年にかけて、シメイナスには約300人の日系人が住んでいた。彼らは漁師だったり、商人や木工所で働く労働者だったりした。第二次世界大戦勃発後、日系カナダ人はBC州の僻地へ強制収容され理不尽な差別をカナダ政府から受けている。ここではスペースが限られているので詳細は省くが、その後、リドレス運動で、日系人はカナダ政府から謝罪と賠償金を勝ち取った。
1991年、かつてシメイナス住人だった日系人が、この土地で再会した記念に日系リドレス基金がスポンサーとなって、この壁画が完成した。1929年にシメイナスで初めて日系人だけのボーイスカウト隊を編成したエドワード・シゲ・ヨシダ氏のポートレートである。背景に当時のボーイスカウトの男の子たちと、日本の風情ある桜の木が描かれている。
このように、木材伐採だけの歴史ではなく、中国系の人々の様子の壁画もあるし、ビリー・トーマスという1870年代に名が知れたファーマーのポートレートもある。これは、シメイナスで一番おいしいアイスクリームパーラーの壁画となっていて、建物自体がとてもチャーミングだ。
“The Little Town That Did”(やったぜ、小さな町が!)というキャッチフレーズどおり、シメイナスは「町興し」を成功させた。小さなコミュニティーだけれど、「世界で一番大きな屋外ギャラリー」があるユニークな町としてすっかり有名になり、毎年40万人の観光客が訪れる。
-文中の画像-
画像上:郵便局の壁画
画像下:ネイティブヘリテージ
画像左:日系人画家による「ローン・スカウト」
画像中:林業で栄えた歴史を伝える木彫モニュメント
画像右:林業に従事した中国系の人々
【短信】明けましておめでとうございます。どうぞ今年もよろしくお願いします。1月7日にビクトリアは例年にない大雪(15センチ)に見舞われました。それでも、寒桜が雪におおわれたまま咲いています。(1/10)
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