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現在、デリー近郊のグルガーオンには、雨後の筍のように、次から次へとショッピングモールがオープンしています。一方、オールドデリーには、17世紀から続く伝統ある商店街、チャーンドニー・チャウクがあり、今でも大繁盛しています。しかし、デリー最初の近代的ショッピング街と言ったら、コンノート・プレイスをおいて他にありません。
英領インドの最初の首都はカルカッタでした。しかし、1911年にデリーへの遷都が宣言されると、ムガル朝の首都シャージャハーナーバード(オールドデリー)の近郊にニューデリーの建造が開始されました。ニューデリーは大まかに言って三角形プランの計画都市でした。その三角形の一頂点を担ったのが、円形のショッピング街コンノート・プレイスでした。中心には円形の公園セントラルパークが設置され、その周囲を白亜の柱で支えられた商店街がグルリと取り囲む、非常に美しいショッピング街でした。ちなみに三角形のもうふたつの頂点は、インド総督邸宅と、第一次世界大戦の戦死者を弔う慰霊碑インド門でした。
1947年にインドは独立し、コンノート・プレイスの商店主も買い物客もインド人となりました。それ以来、コンノート・プレイスの景観はかなり変わってしまったと言われます。インドに住み始めた2001年から考えても、コンノート・プレイスは大きく変わりました。その最大の変化は、中央部の公園がデリーメトロ(地下鉄)工事のために一時取り壊されてしまったことです。
しかし、地下鉄工事も無事完了し、コンノート・プレイスの地下にはラージーヴ・チャウク駅が出来ました。ラージーヴ・チャウクとはコンノート・プレイスの別名で、ラージーヴ・ガーンディー元首相の名から命名されましたが、今でもその名称はあまり一般化しておらず、デリー市民の間では、コンノート・プレイス、またはそれを略してCPと呼ばれています。
ラージーヴ・チャウク駅の完成に伴い、コンノート・プレイス中央部にあった公園も昨年末あたりに復活しました。緑の美しい芝生が敷かれ、小川には水が流れ、噴水もあり、ちょっとしたオープンエアーの劇場も設置されました。デリーメトロの工事が始まる前まで、このセントラルパークはデリー市民の憩いの場でしたが、再オープンと同時に、再び多くのデリー市民がこの公園でくつろぐようになりました。公園内にはラージーヴ・チャウク駅への入り口もあり、地下鉄利用者も一息つけるようになっています。ショッピングモールの乱立により、一時はコンノート・プレイスの商店街の客足が減ったと報告されていましたが、この調子ならデリー市民はまたコンノート・プレイスに戻って来そうです。
現在、デリー政府はコンノート・プレイスをヘリテージ・ショッピング街に変貌させる計画を推進しています。英領インド時代のコロニアルかつオシャレな雰囲気をそのまま現代に再現させようと言うのです。セントラルパークのデザインも、どこかレトロな雰囲気があり、その一環なのでしょう。コンノート・プレイスが今後どういう風に進化していくのか、注目です。
画像右上:コンノート・プレイスの商店街
画像左上:セントラルパーク
画像右中:オープンエアー劇場
画像左下:くつろぐ人々
画像右下:地下鉄駅の入り口
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