■インドの中のフランス:ポンディチェリー 2006.1.16 update

インドは元々イギリスの植民地でした。イギリスが建設した首都カルカッタ(現名コールカーター)やニューデリーは、今でこそ完全にインド色に染まってしまってはいますが、それでも部分的に英国植民地時代の遺産を目にすることができます。ダージリンやウータカマンドなど、英国人がインドの酷暑を逃れるために各地に開発した避暑地にも、どことなく英国の片田舎の面影が残っています。インドで英語が比較的よく通じるのも、英国植民地時代の名残と言えます。

しかし、インドには英国以外の影響を強く受けた地域もいくつかあります。例えばアラビア海に面したディーウ、ダマン、ゴアなどはポルトガルの植民地でした。一方、ベンガル湾に面したポンディチェリーはフランスの植民地でした。今冬はそのポンディチェリーを訪問しました。

ポンディチェリーは一時イギリスやオランダに支配されたこともありますが、250年以上に渡ってフランスの植民地でした。インドが英国支配から独立したのは1947年ですが、ポンディチェリーがインドに正式に併合されたのは1960年代に入ってからでした。ポンディチェリーはベンガル湾に面し、タミル・ナードゥ州に三方を囲まれていますが、行政的には中央政府が直接統治を行う連邦直轄地となっています。

というわけで、旅行者がポンディチェリーにフランス的雰囲気を求めるのは自然の成り行きですが、あまりに期待しすぎるとガッカリする結果になるでしょう。卵型をしたポンディチェリーの市街地は周囲をグルッと道路で囲まれており、その中は街路が碁盤目状に走っています。この都市プランは他のインドの都市ではなかなか見られないものです。

道路の名前には、英語の「ストリート」の他に、フランス語で同じ意味の「リュ」という単語が使われています。看板にはタミル語や英語に加えてフランス語が使われています。ポンディチェリーの警官は、かつてフランスの警官や兵士がかぶっていた赤い帽子を今でもかぶっています。街には白人の姿も比較的多く、フランス人とインド人のハーフやクオーターも多く住んでいると言われています。

しかし、バススタンド周辺はタミル・ナードゥ州の他の町の雰囲気と全く変わりませんし、繁華街もインドそのものです。生活雑貨や安っぽい衣服を売る小さな店がひしめき合い、道路にはいかにも身体に悪そうな排気ガスを吐き出すオートリクシャー(三輪タクシー)やスクーターが溢れ、タミル語映画のド派手なポスターや看板が自己主張をやめようとせず、壊れかかったスピーカーから流れてくる音楽と自動車のクラクションの音が混然一体となって耳に突き刺さってきます。

しかし、海岸線に沿った地域まで足を伸ばしてみると、人通りも車通りも少なく、地中海風の民家が立ち並び、今でもフランスの片田舎のような雰囲気が残っているのを発見するでしょう。実はフランス植民地時代から、海岸沿いの地域はフランス人街、内陸の地域はインド人街と分断されており、その名残が今でも残っていると考えることができます。この元フランス人街には、地中海風民家を改造したホテルやゲストハウス、フランス料理を出すレストランやオシャレな雰囲気のカフェなどが散在しています。また、市場のパン屋ではフランスパンを買うことができます。

ポンディチェリーには教会もいくつか建っており、キリスト教徒の数が他のインドの地域に比べて多いことが伺われます。ちょうどクリスマス・シーズンにポンディチェリーを訪れたため、街はクリスマスを祝福する雰囲気でいっぱいでした。とは言っても、日本のような商戦めいたケバケバしいものではなく、家族でのどかに祝うという感じの正統派クリスマスだったように感じました。クリスマスの日に家族親戚が集まったり、知人を訪ねて回ったりと、日本の正月のような雰囲気でした。とは言え、街で評判のフランス料理レストランは、ディナー時にはほぼ満席の大人気。クリスマス特別メニューとしてターキーを出していましたが、これは観光客向けのサービスでしょう。ヒンドゥー教のお祭りと同じく、爆竹の音が鳴り響いたのはいかにもインドらしいところでした。

インドは多様性の国と言われますが、ポンディチェリーはインド風味のフランスを味わうことができる特異な場所です。町としてはそれほど見所のある場所ではないのですが、一見の価値はあるでしょう。

画像右上:ポンディチェリーの街並み。看板にはフランス語が。
画像左上:繁華街はインドの町そのもの。
画像右中:ベンガル湾。ポンディチェリーはこの湾に面している。
画像左下:ポンディチェリーの警官、かつてフランスの警官や兵士がかぶっていた赤い帽子をかぶっている。
画像右下:市場のパン屋ではフランスパンを買うことができる。


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