■チャートプージャ(太陽の祭り) 2002.10.16 update

サーモンピンクに染まる空に大きな太陽が沈んでゆく。その美しさはインドが世界に誇れるものの一つだろう。夕暮れと早朝は私の大好きな時間。甘いチャイを飲みながら悠久のインドを呼吸する。まさか自分がそこで暮らすことになるとは思っていなかった。旅をするのと暮らすのとは全く違っていた。

98年にインド人の主人に出会い、結婚しました。主人の家は大家族で、25人が一つの家で暮らしています。主人の両親と7人兄弟の家族みんなが一緒に住んでいます。私たちの家はブッダガヤにあります。ブッダガヤは仏教を開いた釈尊が菩提樹の下で大悟したという場所です。世界中から仏教徒が巡礼に訪れる国際的な町です。にもかかわらず、私たちの家は、ブッダガヤの中でも廃れつつある古風な家です。嫁たちは一人では決して外出できません。他にもいろいろな習慣的制限があります。三男の嫁である私は日本人ですが、できるだけ守るようにしています。その文化に溶け込んでみて、初めて見えてくるものがあるのかも知れません。

主人の母はとても信仰心の篤い人です。主人の家はヒンドゥー教で、母は毎日祈りを欠かさないし、お祭りの際も儀式を必ず行っています(ここではあえて義母ではなく母と書きます。主人の母は嫁の私を本当の娘のように大事にしてくれているからです)。ヒンドゥーのお祭りは一年中たくさん行われます。ホーリー、ディーワーリー、ドゥルガープージャ、チャートプージャなど挙げたらきりがないほどです。今回はチャートプージャについてお話しましょう。

チャートプージャは太陽の神様スーリヤのお祭りで、家族の健康を願うものです。母はほとんど3日間断食をします。水もチャイも無しです。2日目の夕方と3日目の早朝、太陽の映る川で水浴びをし、体を清めます。家では3日間いろいろな儀式をします。牛乳とお米を薪でたいて砂糖なしのキール(乳粥)を作ったり、ビスケットのようなものをお供えものとして作ったり、大忙しです。川へ水浴びに行く時は、数歩進んでは合掌し地面に全身を這わせます。家族(女性と子供たち)は、その後をついて行きます。必ず裸足で行きます(靴は汚れたものとして祭事や寺院では履きません)。去年のチャートプージャは11月で、早朝4時半の薄暗い中、家を出発し川へ向かいました。ニランジナー川は人で溢れ返っていました。子供たちを抱きかかえ、冷たい水の中を太ももまでつけて中洲へ渡り、儀式の準備をしてお坊さんの来るのを待ちました。ブッダガヤ中の家がチャートプージャをするために集まっているのでなかなかお坊さんが周って来ません。やっと来たお坊さんの儀式が済めば、母は、顔を出したばかりの朝日を水面にたたえる川に、頭の先までつけて体を清めました。

儀式を終えた母の手から家族にお供え物のお下がりが配られました。硬いビスケットやフルーツです。それは必ず全て食べなければなりません。友達の家からもお下がりを頂くのでかなりの量です。儀式の間、子供たちは川で花火を楽しみます。母は儀式が全て終わってからキール(乳粥)を食べました。推定60歳の母にはかなりきつい儀式だと思いますが、母は毎年続けています。風邪ぎみで川へついて行った私は肺炎とひどい下痢になりました。インド人は寒さにも強いのです。

インドは広い。常夏の地もあれば、雪の積もる地もあります。言語も、文化も、宗教も、風習も、顔も、様々です。都会と田舎では生活が300年ほど違うように思います。ブッダガヤでは、お嫁さんが額につけるシンドゥールという赤い粉はたっぷりつけます。チュリーという腕輪も結婚してから旦那さんが死ぬまで外すことはありません。しかし、デリーではほとんどの人はしていないのです。同じブッダガヤでも男性と女性では文化(生活習慣)が全然違います。宗教によってもカーストによっても全然違います。同じ家の中でも、もっと田舎からお嫁に来た兄嫁さんと、英語を話す現役学生の妹、裸足で走り回る子供たち、サッカーやクリケットに忙しい男の子、そして男性たちでは、守るべき習慣や社会的感覚が全く違うのです。

旅をしていた頃は、インドのイメージははっきりしていました。インドの家庭に入ってからは、どんどんわからなくなってきています。知れば知るほど迷宮に迷い込むように複雑になるのです。私のインドのお話は、あくまでも私個人が体験しているものです。10億分の一人の目から見たインドであることをここに記しておきます。


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