■ETA(バスク祖国と自由)の無期限停戦表明 2006.4.18 update

スペインには、いわゆる標準スペイン語ではない言語を使い、文化はもちろん、民族としてのルーツも異なる地方がいくつかあります。そのひとつがバスク地方。大木の切り株を誰が早く割り終るか、200キロもの重い石を誰が持ち上げるか、などといった素朴な力比べ競技や、男性だけの美食家クラブの存在が有名です。世界的に有名なシェフもたくさんいます。日本史にも登場するフランシスコ・ザビエル(イエズス会宣教師)もバスクの出身です。また重工業を主にしたスペイン経済の重要な担い手で、地理的にはスペインとフランスの両国にまたがっています。

独自な文化とルーツをもつため、1936年のスペイン内乱をきっかけにバスク自治政府が誕生したのですが、ナチスドイツの支持するフランコ将軍率いる反乱軍に敗れ、フランコ独裁政権下ではバスク語の使用が禁止され、自治獲得運動は弾圧されていきました。この弾圧の中で先鋭化したバスク人たちはETA(バスク祖国と自由)を結成し、1973年にはフランコの継承者であり、当時の首相であったルイス・カレロ・ブランコの車をマドリッドで爆破し、殺害しました。その後、穏健派から離脱した先鋭集団により非合法のテロ組織として成長し、「革命税」を有名人やバスクの企業、商店から徴収することでその活動を続けてきました。ETAは、革命税の徴収に従わない企業に対しては爆破テロや社員誘拐で対抗してきます。フリオ・イグレシアス(歌手)の父親もETAに誘拐され、一ヶ月ほど監禁されたことがあります。

爆弾や暗殺などのテロを常套手段とし、バスク民族主義に反対する政治家やジャーナリスト、知識人、軍や警察、治安部隊などを標的とし、1960年代より約800人をも殺害しています。一般市民を対象にした無差別テロは、基本的に爆破予告があります。予告することで世間の注目を集め、政治的要求ができるからです。大規模な爆破で被害者を多く出すことは国民の支持が得られなくなり、政府の弾圧が一層激しくなるだけだという目論見があるのだと思われます。しかし、1987年にはバルセロナのスーパーを襲撃し、市民21人を殺害、45人が負傷。2001年にはマドリッドで車爆弾が爆発、95人が負傷。その他にも子どもまで巻き添えにした数々の無差別テロも起こしているのも事実なのです。

独自の文化をもつバスク人の独立を求める動きには、とりわけ1975年まで続いたフランコ独裁政権下では、国内外で同情する傾向がありましたが、無差別テロを繰り返すETAにバスク人を含めたスペイン全土で反ETAのデモが広がり、孤立化したETAは1998年9月に無期限停戦を宣言しました。しかし、1999年8月にETAによる一方的な宣言破棄。その後テロ活動を再開し、政治家、軍人、ジャーナリストなどを標的にした60件以上の暗殺テロを繰り返し、40人以上を殺害しています。

そして今回、「民主的プロセスを開始するため停戦を決めた」と再び無期限停戦が表明されました。ただし自らの武装解除については言及していませんし、ETAのテロ活動に完全な終止符がうたれることは難しいだろう、という懐疑的な意見が一般的です。1980年代には政府の支援の下で非合法の反ETAテロ組織「GAL」が結成され、ETAのメンバーと疑わしい者や無実の人々を拷問したり、殺したり、といった血を血で洗う歴史もありました。

政府は、ETAの声明が和平交渉を開始するに足るものかどうか時間をかけて検討すると表明しており、まだ和平交渉には至っていません。水面下の交渉は続けられているものと思われます。政府側がテロリストと折り合いをつけるというよりも、バスク文化の独自性にさらなる理解を示し、バスク人全体としての希望を受け容れ、ETAは武装解除し、テロではなく、別のもっと真っ当な方法でバスク地方のアイデンティティを守って欲しいものだと心から願います。

画像上:ETAが無期限停戦表明をしたときのテレビ映像。
画像中: ETAのシンボルマーク
画像下:バスク地方の町並み。スペインでも特に裕福な地方だけあって、立派な家が多いと思います。


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