|
東京に住む人が東京タワーに、京都に住む人が清水寺に、もう何年も出かけたことがないというのと同じで、私も上海に住むようになってから、有名な観光地でもある南京路に出かけることは稀になりました。ふだんの買い物は近くで済ませられるし、新しいデパートやブランドのテナントが入ったビルの多い南京西路はともかく、一部が観光用に歩行者天国になった南京東路には、お客さんが来られたときくらいしか行くことがありません。でも、ちょっと用事があって、国慶節(建国記念日)の七連休に入る直前の9月30日、私は久しぶりに南京東路へ出かけました。
南京路は、東は外灘(バンド)、西は上海市のほぼ真ん中に当たる静安寺付近まで延びる、全長約5.5キロの大通りです。人民広場の脇を通る西蔵中路を境に、東西に分けられています。この通りの歴史は古く、元となる小さな道が造られたのは1851年で、その後まもなくして多くの貿易会社や舶来品を扱う商店ができ発展していきました。西の端が現在の南京西路の端に伸びるころには、当時最先端だった五つの百貨店もでき、上海だけでなく、全国で一番の繁華街に成長したのでした。そして人や馬車が行きかっていたといいます。
私が初めて南京路を訪れたのは1990年です。今から17年前ですが、当時はまだ、オールドシャンハイの面影を色濃く残していました。南京路を歩いていて目にできる高層ビルはこげ茶色の国際飯店で、その斜め向かいに上海図書館の時計塔が見えるくらいでした。通り沿いの建物の多くが19世紀のものでした。バスと自転車と人がとても多かったですが、まだ自家用車はほとんどなかったと思います。信号もなかったように記憶しています。
次に訪れた1994年から95年は、すでにタクシーが増えつつあり、路線バスも以前より多くなって大混雑が始まっていました。一部区間ではすでに自転車が制限され、土曜日と日曜日の午後は、今の歩行者エリアの一部分が当時も歩行者天国になっていました。また、そのころには第一百貨店のある西蔵中路と南京路の交差点に大きな円形の陸橋がありました。それがなければ道を渡るのも困難なくらい、歩道には人があふれかえっていました。
98年以降は、定住するようになってあまり南京路に行かなくなりました。気がつくと前述の陸橋が消えていて、今では地下道になっています。地下鉄の出入り口がこの地下道に隣接する形でできており、そこから東はしばらく歩行者エリアになっています。
ゆっくり歩いて外灘(バンド)までいける距離ですが、この歩行者エリアには電動列車があって、観光客を乗せてエリア内を端から端まで走ります。歩き疲れたときには便利ですが、このあたりはいちばん上海らしい上海で、西洋風の建物がたくさんあるのにこの上なくアジア的な独特な雰囲気があるので、もしお越しになったらぜひゆっくりと歩いてみていただきたいところです。歴史のある通りだけに、「中国老字号」の称号を与えられた老舗のお店がたくさんあるのも見所です(老字号=老舗)。ただし、人が多いのでスリや怪しい呼び込み、偽ブランド商品売り(「トモダチ、ミテミテ、カバン、トケイ、ヤスイ」などと日本語で声をかけてきます)などにはくれぐれもご注意ください。
私が行った9月30日は、大型連休前の振り替えで平日扱いでした。日曜日だったにもかかわらず、会社や学校は通常にあったのです。しかし、一足早く休みを取った人などですでにかなり混んでいました。連休中にはいったい何人の観光客がこの短い通りを訪れるのでしょうか。
画像上右:1980年代の南京路。90年代初めもまだこんな感じでした(この画像は中国のサイトのあちこちに出ていました=大本の出所は不明=)。
画像上左:電動列車。結構スピードを出して無茶な運転をするので、歩行者は注意です。
画像下右:西蔵中路の地下道を上がったところから南京東路を見たところ。国慶節なので国旗が飾られています。
画像下左:お休み前の遠足。幼稚園児たちが列を作って歩いていました。前方中央に見えるこげ茶色の建物が国際飯店(1934年開業の伝統あるホテル)です。
|