■さよなら、重慶 2005.1.24 update

皆さん、明けましておめでとうございます。こちらは、クリスマスのころから急に寒くなり、蝋梅(ろうばい)を籠に入れて背負って歩く花売りの姿が見られるようになりました。地味な黄色い蝋梅は、見た目こそ華やかさはありませんが、香りは抜群によく、凛とした香気が新春の雰囲気を醸し出します。蝋梅売りの人たちは、重慶の冬の風物詩ともいえると思います。

私たち家族が重慶に越してきて二年が過ぎました。途中、SARSの影響で数ヶ月日本に帰っていたので実質は一年半ほどの滞在でしたが、今月半ばに上海へ戻ることになりました。はじめは慣れられなくて苦労しましたが、多くの地元の人々と知り合い、またこちらで活躍されている日本人の方々とお近づきになる機会にも恵まれ、楽しく生活することができました。

また、この二年間の重慶の発展は目覚しいものがあり、来た当初、デパートを探し回っても見つからなかったものが、今ではかなり簡単に手に入るようになりました。辛いものばかりで外食をするのも困っていましたが、最近ではファストフード店だけでなく、西洋料理のレストランが増えたばかりか、同じ中華料理でも辛味のないあっさりとした味付けのものを出すレストランもできてきて、選択肢が広がりました。

重慶は、中国の西南地区の要として大急ぎで変わってきています。今後、世界中の人々が訪れる内陸の中心都市になるため、日々整備が進められているところです。以前は郊外であったところが、副都心のように開発され、あっという間に高層ビルで埋まっていきます。あちこちにショッピングモールができ、おんぼろだったバスも徐々にきれいになり、路線によっては高級車と呼ばれる豪華な車両になりました。

「標準語を話そう」をスローガンに、郵便局、デパート、銀行などで標準中国語が使われるようになりました。つい最近気がついたのですが、タクシーの運転手さんが標準語を話すようになり、聞いたところ「標準語トレーニング」というものがあるのだそうです。二年前には薄汚れて座るのがためらわれたタクシーの座席カバーも、真っ白な統一されたカバーが義務付けられて比較的快適にもなりました。ちょうど10年ほど前、上海で見た超スピードの変化を、ここでまたもう一度目にすることができたような気がします。

私自身も変わりました。いろいろなこだわりが少なくなり、ずいぶん楽に生活できるようになりました。言い方を代えれば「諦めがよくなった」ということなのかもしれませんが、日本人のものさしで生活しようとするとここではやはり無理があり、消去法で満足できる条件まで下げていくというやり方で順応していけたのかもしれません。

重慶訛りにもずいぶん慣れ、簡単なことなら思わず訛ってしまうことも出てきました。5歳の息子にいたっては、もうほとんどネイティブに近い重慶弁を話すので笑ってしまいます。そして、いちばんの変化は、辛いものに慣れたことです。当初、地元に人に「これは辛くない」と勧められた食べ物に唐辛子が入っていて、ひーひー言っていた私ですが、このごろでは少しくらいの唐辛子ならやはり「辛くない」と感じてしまうのです。

重慶の唐辛子の粉は特別辛くて、ほんの少しでも舌が焼けるように痛くなります。その上、地元で作られる「ハイジャオ」と呼ばれる辣醤(ラージャン=辛い調味料)には「花椒(フアジャオ)」という山椒のような舌がしびれる実が入っているので「びりびり、ひりひり」します。冷たい水で舌を冷やしてやらないと、やけどをしたように痛いくらい辛いのです。これは、初めて食べる人はほんの少しでもびっくりして冷や汗が出るほどです。食べ物が食道を通って胃に達するのが分かるくらい、体の中でもひりひりしています。私も、さすがにたくさんは無理ですが、そういう辛さの牛肉麺などをいつの間にか食べられるようになっていました。この冬はまだ風邪知らずなのですが、もしかすると唐辛子のおかげなのかもしれません。

上海では見られなかった山のある風景や、竹の棒で荷物を担いだり、籠を背負って歩く人々を珍しく眺めながら暮らした二年でした。次に重慶に来ることがあったら、もうまったく様子が変わっていることと思います。「不便だ、大変だ」といい続けてきましたが、今となってはとても名残惜しい気持ちです。


画像右上:蝋梅を籠に入れて売り歩く人
画像左上:南山から見た重慶市中心部
画像右中:解放碑と、その横にできたヨーロッパなどの高級ブランド店が入ったデパート。うしろはマンション
画像右下:重慶千年古街と呼ばれる磁器口(ツーチーコウ)。古い町並みが残されています
画像左下:絹ごし豆腐のような「豆花(ドウフア)」。辛いタレをつけていただきます


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