■たいらんど 2003.6.16 update

突然ですが、帰国することになりましたので、この記事も今回が最後となります。みなさんがこれを読んでいる頃にはもう日本にいるはずです。それで最後に書くのも変なんですが、僕がタイに来た頃の話をしたいと思います。

僕が初めてタイに来たのは1990年2月。大学3年の終わりです。その後、色々な国を回ったのですが、タイの人の良さと、日本にないゴチャゴチャな雰囲気とおもしろさに魅かれて、何度も訪れました。働き始めてからもタイのことが忘れられず、1994年10月、ついに来タイを決意しました。

とりあえずタイ語の勉強をしなければ・・・と思い、バンコクYMCA内のNISAタイ語学校に通いました。今は場所が変わってしまったのですが、少人数制で会話重視の楽しい学校でした。ここで1日3時間、約4ヶ月勉強したのですが、もともと勉強嫌いなので、それ以上続きませんでした。

勉強は午前中だけで、あとは暇だったので、路上で弾き語りをして、自分のテープを売ったりしていました。僕が歌っている後ろで、警察官4人がタムロしていた時は怖かったです。労働許可証がないのに商売をしたらマズイですからね。

その頃知り合ったYMCAのスタッフの紹介で、日本語を教えることになりました。資格も経験も何もなかったのですが、僕の進む道がこの時決まったようです。非常勤講師(アルバイト)として、ここで約1年働いたのですが、この間にタイのことを学び、知り合いもたくさんできました。

タイに来てすぐ知り合った彼女(家内)との結婚を考え始め、アルバイトじゃなくて、ちゃんとした仕事を探そうと思っていた時に、「ボピットピムク・マハメークキャンパス」の知り合いから声がかかりました。その後ここで常勤講師として7年間働くことになります。以前は高校と短大がありましたが、現在はそれらがなくなり、大学になっています。

仕事が決まり、その1年後に結婚。家も買い、順風満帆でしたが、結婚1ヵ月後に泥棒に入られてしまいました。その話は「占い」の時に少し書いてあります。グチャグチャになった部屋を見てゾッとしましたが、まずギターがあるか確認することを怠りませんでした。当時、家で一番高い物はギターでしたから。

家内は早く子供が欲しいと言っていたのですが、2年間できませんでした。病院にも通いましたが、診察料が高いので、3ヶ月ほどでやめました。お坊さんになったら、徳が積めて、願い事が叶うというので、夏休みに2週間お坊さんになりました。すると還俗(お坊さんをやめる)してから1ヶ月後に妊娠していることがわかりました。妊娠2週間だそうです。なぜこんなに早くわかったかと言うと、早く子供が欲しいから、自分でチェックする道具を持っていたからです。

娘が生まれてからは生活のリズムが娘中心に変わりました。これについては日本もタイも同じですね。家族が増えると、将来のことも今まで以上に考え出して、タイよりも日本にいた方がいいんじゃないかと思い始めました。僕の両親も孫が一人しかいないので、会いたがっています。日本で決まった仕事はタイと少し関係がある会社なので、タイとの縁はまだ切れていませんし、タイが嫌いになって、日本に戻るわけではないので、またいつでもタイに遊びに来るつもりでいます。日本に戻ったら、今まで見ることができなかった「ワールドバザール21」の視聴者になれますね。

画像上:得度式(お坊さんになる式)
画像下:ボピットピムクにて七夕祭り


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