■ドラゴンボートとチマキ 2002.7.1 update

「なにっ?ドラゴンボール?」、私がドラゴンボートの練習をしていると言うと、ほとんどの人は冗談なのか一昔前に流行ったアニメを言い最後はきまって「何をする物なの?」と、聞かれる。「日本で言えばペーロン祭りかな〜舟を20人ぐらいで漕ぐ団体の競技で、舟の形が笹舟みたいな感じで先頭に龍の頭が象られおしりにもしっぽが有る形」と、この様な答えになってしまうけれども、そのペーロン祭りも元々は中国から日本の長崎へ伝来し、そして今は兵庫県の相生や沖縄を始め、少ないけれども各地でレースが行われる様になった。

行われる時期はまさに今!!旧暦五月五日・端午節に行われ、台湾各地はドラゴンボートレースで大賑わいとなります。実はこのレース、優勝チームには高額賞金がもらえると有って台湾人の盛り上がり方も半端じゃぁ有りません。ドラゴンボートレースの為に常日頃筋肉トレーニングをし、開催一ヶ月前から河で漕ぐ練習を毎日朝五時頃から始めるんですよ〜朝早いと涼しいから練習し易いって事も有るのですがねっ、そして練習後豆乳を飲んでプロテインを補う!(豆乳は台湾では1日の活力の一杯として朝飲みます)

そうして大会本番を迎える2週間前、舟の先頭に有る龍の眼に赤墨で目を入れる式典が有り(だるまに目を入れるみたいに)、この時選手達は舟をゆっくり漕いで河に礼を示し、台湾独自のお参りに使う黄色い紙をパァ−とばら撒き爆竹を鳴らします。そして式典用に作られたチマキも河へ投げます。なぜ食べないで投げるかと言うと、中国の昔々、春秋戦国時代の秦の国王は、戦略結婚にて楚国の王に一族の結婚を申し出たそうな。其の時大臣であった「屈原(クツケン)」という愛国心詩人は「敵と結婚するなんてーダメだー」と反対たけれども、楚王はその言葉耳に入れず、「戦の為じゃぁ〜つべこべ言うなー」と、反対する屈原を邪魔に思い辺境の地へ追いやってしまいました。

その後楚王は秦国に謀られ殺されたそうな・・・、屈原はこうなる事を予想してたのに、何も出来なかった事が悔しくって悲しくって、傷心を抱き汨羅江という川で飛び降り自殺しました。こんなに愛国心を持った屈原の行動に村人達は胸を痛め、屈原の自殺した河へ、遺体が魚や蝦などに食べられないようにと竹の筒の中(チマキの原点と言われている)にご飯を入れた物を川に投げ入れた。

って事で目入れ式典の時もチマキを河へ投げるのです。実はこのお話がドラゴンボートの由来にあります。いよいよ大会当日、台湾人チームも私の通う師範大学国語中心チームも今までの練習の成果を発揮し、水しぶきを浴びながら険しい顔付きでボートを漕ぎ、休憩中にチマキを食べ、じりじりと日焼けし、端午節を楽しむので有りました。師範大学国語中心チームは日本円で約50万の賞金を手にしました!

註)国語中心とは「語学スクール」のこと


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