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エヘ.....有名なディエゴ・レベラの壁画に「アラメダ公園の日曜日の午後の夢」と言うのがある。それにあやかって。。。。。
メキシコの町には、どんな田舎の町に行ってもソカロと呼ばれる町の中心広場というのがある。それは、スペインの征服当時の町作りとして、スペイン風の町作りをしたのだが、それは、町の中心に、広場を作り、その周りに、必ずその町一番の教会、町の役所を作り、そして、道をそこを中心にして碁盤の目の状に作った。
いろんなイベントがそこで行われ、また、人々が集まる社交の場であり、ベンチなどでいかにも南国ののんびり気分で、その場で時を過ごす場所でもあるようだ。
ソカロというのは、もともと、昔、メキシコシティーの中心広場に独立記念のモニュメントを作るその土台を作った、その土台、基礎をソカロと言った。だが、そのモニュメントはついに作られる事がなかったが、誰ともなく、みんなが、町の中心広場の事をソカロ、ソカロと呼ぶようになった。
メキシコ国の一番の中心広場は、やはり、首都であるメキシコシティーのソカロ広場である訳だ。正式な名は、憲法広場と言うが、誰もそう言わない、皆がソカロと言う。
そのメキシコシティーのソカロは、実に、メキシコの中心的場所である。独立記念、革命記念のイベントが行われる場所であり、その他常にいろんなイベントが行われている場所である。デモの終着場所であり、時には、日曜日の夜など有名人気歌手が無料コンサートをやったり、地方からの政府抗議及び陳情グループが何日もテントを張って居座っていたり、家族連れが、散歩していたり、ソカロ界隈へ買い物にやってくる人が多いし、風呂敷商売をする人々の商売の場所でもあったり。
そこは、まさに、メキシコの歴史と現実が、垣間見られる場所かもしれない。そして、ソカロ広場のその中心には、常に、メキシコで一番大きな国旗が、はためいている。そこは、昔の先スペイン期時代の最大の先住民の王国アステカ王国が栄えていたその場であるが、その都は、スペインの征服により完全に破壊され、その破片は地下へ。その残骸が、発見され博物館となっている。常に、ソカロ広場は人々が集まってくる場所であるが、特に、日曜日の午後は、特別のイベントがない日でも、人がどっと、常にやってくるのだ。
-文中の画像-
画像右上:ソカロ周辺は露天や昔ながらの商店、そして問屋街もあって、買い物する人でごったかえす。
画像左上:ソカロ広場は観光ポイント、いつも、二階建ての赤い観光バスもやってきます。
画像右下:ソカロ広場とその周りには、物売りの人々が、風呂敷商売をする。
画像左下:広場の一角になる昔のアステカ王国の遺跡。最近、新しい発掘もあった事もあり(まだ、新しい発掘物は公開されていないが)、そして日曜日が特に入場料無料になるため多くの人が訪れる。
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画像左:ソカロ広場の一角で、腰掛け、食べ物を食べたり、休息する人々。
画像中:先住民時代からの伝統の考えで、体を清める事によって、病気を追い払うという。体を清めてもらうために、多くの人が行列を作っている。
画像右:ソカロ広場の大きな国旗と、「死者の日(11/2,3)」の展示物の一つの骸骨人形がまだ残る。
  
画像左:広場ではいろんな商売が成り立つらしい。これは、髪を細い三つ編みにする人。また、本の展示販売会もよく行われる。
画像中:写真屋も商売、そして鳩と戯れる子供。家族連れも多いから、子供相手のピエロの風船売りも出ている。
画像右:ソカロに公衆トイレはない、大きなイベントがある時は、ポータブルトイレの行列がソカロ広場の一角に並ぶが、普段の時は、一回2、3ペソのトイレ屋が活躍。
  
画像左:ソカロ広場には、さまざまな問題を抱えた地方からの抗議の人々が、テントを張り野宿している。
画像中:大統領は決定されたけれど、選挙問題は後を引き、負けたとされた大統領候補の支援をする人々は、今でもソカロ広場で抗議運動を続けている。
画像右:メキシコ・カトリックの総本山カテドラル教会の神父さんが、「オアハカ問題(オアハカで、賃上げを求め教師らがストライキ)解決のために軍隊が介入したのは正しかった」と発言したことに対して、抗議の人々が教会にやってきた。この日、赤く血の色に手を塗り、暗殺者と叫び、カテドラル教会のミサになだれ込み抗議する人々。
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