■今の日本を知るきっかけに ―日本現代文学がヒット 2003.11.3 update

日本在住のイタリア人にしてイタリア語教師。そもそもの来日理由はと言えば、イタリアで日本文学を専攻し、しまいにはそれに飽き足らず日本まで来てしまったというケースがとっても多い。イタリア語と日本語には何ら共通点はないから、彼らは漢字に奮闘している間に日本に居着いてしまうのだ。

イタリアの大学は入りやすい(無試験がほとんど)が、順当に4年間で卒業できるのは全体の5%という「入った後」の厳しさは過酷なほど。卒業年齢は2人に1人は28歳以上と言われる。そんな過酷さをかいくぐった彼らは正真正銘のインテリであり、ゆえに日本での生業のためにイタリア語教師になるという選択肢はごく自然なものとしてある。そして彼らの多くは谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫などの大家に日本人以上に精通している。

しかしそれは彼らの志向するところや学習履歴からすれば別に驚くことではない。驚くのは村上春樹、吉本ばなな、北野武を「作品」を通じて「よく」知っているということだ。そしてそれは彼らのような、日本好きという特殊なインテリ層に限ったことではない。たとえば吉本ばななのブームは最初にイタリアで火がついた。おおよそ10作品が翻訳されて250万部売れた。そしてイタリア国内で3つの文学賞(スカンノ賞、フェンディッスィメ・アンダー35文学賞、マスケラ・ダルジェント賞)までとってしまった。

吉本作品が海外で翻訳されているのは数10カ国。中でも、もっとも人気のあるイタリア、イギリス、アメリカの3カ国と言われるが、圧倒的な人気と言えばやはりイタリアだろう。実際に本屋さんのロマンゾ(小説)のコーナーを歩けば、三島や谷崎の小説の他に、吉本ばななの作品が平積みにされている。私の行った今年2003年の夏には、ばななの『不倫と南米』が大量に積まれていた。いやいや、吉本ばななのみならず北野武、村上春樹の作品も目立つ(武の『浅草キッズ』至っては、表紙に日本語のままタイトルが表記されている)。

イタリア人にとっての日本と言えば、ひと昔前ならば理解不能なエキゾチックなもので、他の外国からの視点と同じで腹切りや芸者だった。距離的にもうんと離れているし、日本人がイタリアを訪れるようにはイタリア人は日本を訪れないから仕方のないことかもしれないが。しかし日本の現代文学のブームによって、日本に対するイメージはそこそこ改善されたものと思う。同時性を持つものだし、共感性の部分で自分たちと同じであるという親近感を呼ぶものだから。インターネットによる時空の飛び越えということもあるが、やはりいつの時代でも文化の流入が異なる国の理解につながると思う。その意味ですこし前に日本で刊行された小説がイタリアの書店でたくさん並べられているという光景は嬉しい限りである。

画像上:イタリアの書店に平積みされた村上春樹や三島由紀夫の作品
画像下:日本語版『不倫と南米』と、そのイタリア語版


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