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さしたる話題もないのに誰かと話さなければならない時、日本人ならば圧倒的に天候のことを口にするだろう。「今日は暑いですね〜」など。一方イタリア人の場合は、国民的な人気スポーツ・カルチョ(サッカー)があるので、そのことが話題になりやすい。ただ強烈なる郷土愛を背景にしてお気に入りのチームをこれと決めている彼らにとって、カルチョの話題は時として危険な事態に繋がりかねない。ユヴェントスを愛するトリネーゼ(トリノっ子)が、ミランを愛するミラネーゼ(ミラノっ子)とカルチョの話をして盛り上がるはずもないからだ。
そこで彼らの間ではコミュニケーションの場面では、だいたいのところ政治の話をするのが定番となっている。新聞でもポリティカ(政治)の面はたいそう力が入れられているし、書店でも政治間連の売場は充実している。政治のことが何げない会話の中心になるということは、日本では想像しがたい。それも私たち日本人は概してテレビのコメンテーターが語るような、ごく一般的な世間的見解を述べるにとどまるが、イタリア人は電車のコンパートメントで、バス停で、駅のホームで…居合わせた赤の他人と喧喧諤諤の政治談義をすぐに始めるのである。相手の話はほとんど聞いていない。他人の話にかぶさるように口角泡を飛ばし、それを聞いている周囲も次々とその中に乱入し始める。皆が何を言っているのかわからなくなるのだが、政治用語が次々と飛び出してくることだけは理解できる。
こうした国民性ゆえか、街頭での政治的な活動は多い。日本のように政治家が車の上からスピーチをし、それに対して誰も興味がないままに行き交うという風景とは違い、市民(団体)自らの手で行うものが多く、公衆も自然とそこに溶け込んでいく。
イラク空爆についても、ブッシュ大統領の戦争終結宣言と共にマスコミの中心的な話題から脱落していく日本とは異なる。街頭では巨大な折鶴を折るというパフォーマンスがいまだに繰り広げられ、また日本人から見ればなんとなく世論も尻すぼみ状態のイスラエルとパレスチナについても、これについて考える街頭での展示がある。それも、多くの人が足を止め、周囲の赤の他人と議論を交わしているのである。
反戦デモへの参加者数は統計上、世界1位の国はイタリアである。また白い布や「PACE」(パーチェ=平和)と書かれた旗を掲げることで反戦の意図を示すよう「平和のテーブル」などの平和団体が呼び掛けたが、言われるまでもなく1枚5ユーロの「PACE」の旗は売れに売れて品切れ店が続出したほどらしい。
イタリア人というと食と歌と愛を謳歌する気ままな人々かのようなイメージがあるが、社会問題への意識はなかなか高い。それはアメリカのイラク空爆に対し巨大なデモが繰り広げられたり、また観光客泣かせのショーペロ(スト)が盛んなところにも如実に表れている。
画像上:イスラエルとパレスチナに関する街頭での展示
画像下:街頭で巨大な折り鶴を折る平和運動
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