■「不自由」な国とファーストフード 2002.7.1 update

‘85年にマクドナルドがイタリアに初めてやって来たとき、こうしたアメリカ文化は伝統重視のイタリアのライフスタイルに照らし合わせると、まず定着しないというのが大方の見方だった。事実私のような観光客から見ると、ローマのスペイン広場やテルミニ駅のマクドナルドならわかるが、その他はどこにあるかよくわかないという状況が10年は続いた。それもそのはず、マクドナルドは進出してから10年でその数はたった33店舗にとどまっていた。

イタリアには切り売りのピッツァ、パニーノ(イタリアン・サンドイッチ)、パンツェロッティ(揚げパン)など手軽な食べ物があるし、観光客としても何もイタリアに来てまで数少ない食事の選択肢に自国でもありつけるファーストフードを入れたくない。マクドナルドがイタリアで健闘できないのは自然なことだと思っていた。

ところが、‘96年にイタリア生まれのファーストフード店であるブルギーがマクドナルドに買収されると、たちまちに1年で4倍以上の店舗数に。そして‘01年でその数は320まで拡大する。この数字は現時点での日本の2400店舗に比べれば大層少ないが、厳格な都市計画のもと長い歴史をもって形成されたイタリアの街にあってマクドナルドの黄色や赤の色調はどうしようもなく目立ってしまう。そしてその大半は大盛況、非常に混みあっているのだ(なんでもイタリア人は15日に1度はマクドナルドに足を運ぶ計算になるらしい)。

ファーストフードの利便性を認めながらも、「個性や健全な成長、味覚を育てるチャンスを失うことになる」としてスローフードを本来的な人間の在り方とする。そんなスローフード運動はイタリアで生まれた。しかしマクドナルドのみならずバーガーキング、スターバックスのイタリア進出も現実であり、イタリアに従来からあるバールやターヴォラ・カルダ、リストランテなどはアメリカ式ファースト・フードにいつかはその座を譲るかもしれない。それはイタリア人の生活テンポが速まっているからとかハンブルゲル(イタリアではハンバーガーのことをそう発音する)のケチャップがイタリアのトマトソースより美味だからとかではない。イタリアに巣食う「不自由さ」への抵抗、そんなことがファーストフード隆盛の背景なのかもしれない。

たとえばこんなことがある。外国人観光客はバールやリストランテに女ひとりで出かけることがあるかもしれない。しかしそうした行為はイタリアでは「異常」な振る舞いであり、女性に「誘ってもらいたい」という下心があると見なされる。一方マクドナルドはひとりでもふたりでもお金があってもなくてもいつでも同じように迎え入れてくれる。私もイタリア人女性だったら、ひとりの気安さ、その新鮮さから足繁くマクドナルドに通うかもしれない。

しかし理想はもちろん、おいしい正統派イタリア料理を自由な感覚でいつでもどこででも口にすることである。

画像右上:イタリアのマックは世界のマック
画像左下:これぞ正統なイタリア料理


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