| ■魔女の塔 |
2003.5.7 update |
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この写真は、フランクフルトを東に50キロほど行った、ゲルンハウゼンという町に残されている魔女の塔です。この先端の尖った様子といい、分厚い壁といい、5月の美しい新緑に彩られているにもかかわらず、なぜかまがまがしいものを感じたのでした。
ゲルンハウゼンの町の歴史は、12世紀後半にさかのぼり、中世の神聖ローマ帝国時代の皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)の行宮が置かれました。当時は、定住する首都というものが定められておらず、皇帝は后や家族、直属の騎士を従えて、帝国の各地を転々としながら領地を治めていました。
ゲルンハウゼン町は、キンツィヒ川の蛇行を生かして自然の要塞とした中州に行宮を擁し、それにつながって、かつては城壁をはり巡らした旧市街からなっています。その城壁には要所要所に見張りの塔や城門が設けられました。そのうちの1つが魔女の塔で、15世紀に城壁の一部として建てられ、当初は弾薬の貯蔵庫としても使われており、街の防御に必要な機能を備えていました。塔の直径は9メートル、壁の厚みは2.8メートル、そして高さは24メートルと、当時から威風堂々として、堅牢このうえない造りです。
17世紀前半になると、欧州全土を吹き荒れた魔女狩りはこの地にも及び、街を守る城砦の弾薬庫は転じて、異端審査を受ける魔女の監獄として使われるようになりました。塔のはるか上部に張られた床の真ん中にあけられた穴が唯一の出入口で、嫌疑をかけられた魔女(その大部分は女性ですが、男性も混じって入ました)が閉じ込められていました。他者からの証言、密告、讒言(ざんげん)によりきちんとした証拠のないまま疑いをかけられた人々は、さらに拷問により自白を強いられ、断罪されていく運命を逃れることは難しかったのです。近年、魔女裁判の犠牲となった人達をとむらう慰霊碑が、町の有志の女性によって魔女の塔の近くに建てられました。
魔女狩りが終焉したのちは、塔は、人を閉じ込めておくというその完璧な機能ゆえに、一般犯罪者の監獄としてその後も使われてきました。このような魔女の塔は、ここだけでなく、例えばバンベルク、ハイデルベルク、マールブルクなどなど、城壁の一部が残っているような街には、沢山現存しています。
中世を駆けぬけた暗黒の歴史の1ページ、魔女裁判の雄弁な「証拠」が今もって昔の姿のままにその場所で残されていることが、ドイツの不思議な一面でもあります。中世の遺構がそこかしこに残っている欧州は、町が石造りであることを実感します。
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画像右上:ゲルンハウゼン 魔女の塔
画像左上:ゲルンハウゼン 皇帝行宮廃墟の壁に残っている皇帝フリードリヒ1世(赤髭王)を模したモチーフ
画像右中:ゲルンハウゼン 皇帝行宮廃墟
画像左下:イトシュタイン魔女の塔
画像右下:ラーンシュタイン魔女の塔
【短信】ドイツの一年で一番美しい季節の5月を迎えました。新緑は清清しい美しさで輝いており、空気は透き通ってきました。命の再生を感じさせるこの時期にドイツで暮らす喜びをかみしめています。初物のホワイトアスパラガスをもう頂きました。(4/21)
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