■ニューヨーク・コレクションに見る、みんなためのNY情報(8)
 古きを温(たず)ねて新しきを知る
2005.6.6 update

「デザイナーはディレクターになってはいけない。そうなれるのは服を着る人だけだから」
「私は、格好いいだけの服を作ったり、持ったりすることに退屈している」
「人々は『もうスーツは終わった』などというが、女性たちはまだスーツを必要としている。そうであるならば、それを作るのが私の仕事」
「その人が快適である限り、私は何を着ても良いと思う。もし、冬にショートパンツをはいたとしても、それがその人にとって快適ならば、それが全てだ」
「赤は悲しみを治療する究極の色」

この深くて、温かくて、そして、胸にジ〜ンと響いてくる素敵な言葉は、「アメリカン・デザイナーの最古参者」として知られたビル・ブラスが生前、インタビューなどに応えたときに遺したものです。最近、特にこうした華やかで健康だった頃のアメリカに生きた偉人たちの言葉に惹かれます。「人生の大先輩」の言葉を聞く時も同じですが、とても安心し、納得し、そして、勇気をもらうのです。それは、大袈裟に言えば、「今」という時代がどこか本筋からずれているように日々感じるからでしょう。そして、「昔の人は、よくいったモンだ!」と思うことがよくよくあるのも、いま、前を向こうとしてもどうにもこうにも、暗雲立ち込めているようにしか見えないからでしょう。

ブラスは1922年インディアナ州に生まれました。幼い頃から映画や雑誌で見た女性の姿をスケッチすることが大好きで、17歳でファッションの勉強をするためにニューヨークのパーソンズ・スクール・オブ・デザインに入学します。卒業後、スポーツ・ウエアの会社のスケッチャーとして仕事を始めますが、時は第2次世界大戦の最中。3年間を陸軍で過ごし、戦後アンナ・ミラー&カンパニーのデザイナーとなります。62年、同社を合併した既製服メーカーの副社長に就任しますが、70年にそこをビル・ブラス社と改名しています。

ハイ・ファッションを目ざしたことでも知られるその顧客リストには、ナンシー・レーガン、バーバラ・ブッシュの2 人の元大統領婦人のほか、フェイ・ダナウエイ、バーバラ・ストライザントなどが名を連ね、きらめく色使い、自由な素材の組み合わせを得意としたブラスはしばしば「アメリカン・デイウエアのデザイナー」と称されました。女性の躰に心地よくフィットするスーツを生み出し、晩年、米国ファッション界のアカデミー賞ともいわれるコティ賞の栄誉殿堂賞、生涯偉業賞も受賞しましたが、02年6月、コネティカットの自宅で79歳で亡くなりました。

ブラスは2000年春夏コレクションで引退していますが、その遺志は現在、古くからの友人Michael Vollbrachtによって引きつがれ、今春夏コレクションでは下の画像のような作品を発表しました。かつてより若年層を狙いながらも、ブラスが得意とした鮮やかな色使い、基本に忠実な技術、そして、なんといっても常に女性たちが求めるものを作り続けてきた「ビル・ブラス」のコンセプトはしっかりと守られています。


最近、日本でも10代にして大きな成功を収めるスポーツ選手などが注目されていますが、エステバン君もそういう意味で、「最小年で(ニューヨーク・コレクションのメイン会場の)テントにデビューしたデザイナー」としてメディアを騒がせています。だからこそ、「今後どうなるんだろう?」と皆が思っているようなのですが、私としては、服を創ることを運命づけられたコロンビアの少年に今後もエールを送りたいキモチです。だってこれって、ものすごいアメリカン・ドリームだと思いませんか? 夢をかなえ、これからもその夢をさらに大きく育てて行くであろうエステバン君に、少しはあやかりたりたいとも思ってしまう今日この頃です。

様々な機会でブラスが遺した言葉を読み続けていくうちに、50年以上に及ぶそのキャリアの根底には、「女性たちが快適でなければ意味がない」という、一人のデザイナーとしての一途は想いがあったと想像できます。その証拠に、彼はよく旅をしたそうです。旅をしては顧客を訪ね、自分が作った服がその人にとって快適なものになっているか、確認したといいます。「彼女たちのために」。ただ、それだけのためにブラスは仕事をしていたに違いありません

服を着る人のことを忘れ、自分のエゴだけを通したり、流行だけを追ってしまう今どきのデザイナーに、こうした言葉を通して、何かメッセージを送ろうとしていたのではないかとも思います。そして、ふと頭をよぎった「古きを温(たず)ねて新しきを知る」という言葉。これは中国の古典にあり、それは歴史に残る先人の業績を調べ、それらに込められている意味を学びとることの重要性を教えているのだそうです。


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