■252の横顔 2004.10.4 update

献花のとき、私たちは少し困っていました。追悼式の会場では、無料でバラが配られていたのですが、それを誰にもらってもらえばいいかと思ったからです。私たちは遺族でもその知人でもありません。「でも、」と思い直しました。そして、「今日、家族が来ていない人がいるかもしれないから、まだ献花を受けていない人に」と決め、ある男性の横顔にそのバラを置きました。が、その瞬間、背後から声がかかったのです。「どうして彼に献花をしてくれたの?」。

2004年9月11日の夕方、私は友人と共にスタッテン島に向かうフェリーに乗っていました。とても一人では行けない場所でした。「世界を変えた」などとよくいわれますが、あの日は、少なくとも私の生活や考え方を変えました。しかも、その痛みはいつまで経っても消えません。だから、その事をどうしても思い出してしまう追悼式などには、これまでまったく参加しませんでした。というより、できませんでした。

が、あれから3年。グランド・ゼロを臨むスタッテン島の公園に、「ポストカーズ」と名づけられた慰霊碑が完成すると聞いて気持ちが動きました。スタッテン島はマンハッタン島の南に位置する大きな島で、救助に駆けつけた消防士などの住人271人が犠牲となりました。その慰霊碑デザインの国際コンペが昨年(2003年)行われ、選ばれたのが日本人建築家・曽野正之さんの「ポストカーズ」だったのです。曽野さんは、自分と同じく、長くニューヨークで生活する日本人。私は勝手に想像しました。曽野さんはきっと、ここでいろんなことを体験して、考えて、感じて、そして慰霊碑を創ったに違いないと。だから、それをこの目で見たいと思いました。

眼前に現れた「ポストカーズ」は、いまにも空に向かって飛んでいきそうな2枚の真っ白な翼でした。高さ12メートルの翼と翼の間から対岸のグランド・ゼロがあまりにもよく見えます。その内側にある人の横顔のシルエットと名前が刻まれた252枚の銘板もそこを見つめるように並んでいます。そして、献花のために巨大な2枚の翼の間に入った私たちがとても驚き、感動したのはその横顔の一枚、一枚がまったく違うということでした。つまり、それは犠牲者一人、一人の横顔・・・・。背後の声の主がいいました。「彼は私のいとこなの・・・横顔が・・・そっくり・・・・」。目から大粒の涙があふれ出しました。

ある新聞のインタビューで曽野さんはこの「ポストカーズ」について、「亡くなった人と家族、友人、そして我々を繋ぐシンボルであること」とおっしゃっていました。「手紙は、ポジティブなコミュニケーションのシンボルでもある」と。だから、「横顔」はメモリアル切手なのだそうです。

そんな曽野さんと偶然にもお話することができました。曽野さんは、犠牲者の写真を遺族から預かり、それだけを頼りに1本の線で横顔を描くという作業の過酷さを教えてくれました。1ミリずれただけで別人になってしまうからです。だから、何度も、何度も遺族と対話しながら252の横顔を創り上げたといいます。

さっきまで雲を紅く染めていた陽もすっかり落ち、そこには静かな祈りだけがありました。私たちもたくさんの愛情に包まれた「ポストカーズ」を前にして、穏やかな気持ちになっていました。そして、慰霊碑を創ることもできない世界の人々のことを少し想いました。この瞬間にも犠牲者が生まれ続けていることについて、いま、252の横顔たちは何を思っているのでしょうか。

「ポストカーズ」はマンハッタンからでも簡単に行けるところにあります。一人でも多くの方にこの地に足を運んでいただきたいと思います。

画像右上:2枚の翼を広げたような慰霊碑、「ポストカーズ」。対岸にグランド・ゼロを臨む。
画像左上:「ポストカーズ」の前で行われた追悼式に参加した人々。
画像右中:追悼式にはニューヨーク市長なども駆けつけ、その模様は隣接するスタッテン・アイランド・ヤンキースのバックスクリーンに映し出された。それを一人見つめる男性は、「アイ・ラヴ・ニューヨーク」のTシャツを着ていた。
画像左下:人々は、無料で配布された献花用のバラを思い思いに手にする。
画像右下:誰を想っているのだろうか。そこにはただ祈りがあるだけだった。


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